2009/12/22

GSB Dinner on breakへのご参加ありがとうございました

お陰さまで沢山の方にご参加頂くことができました。ありがとうございました。引き続き何かございましたら、ttaki あっとstanford.eduまでどうぞ。



2009/12/09

初めての、ラスト・コメント

First Quarterもいよいよ終わり。
MBAでは結構あることのようだが、いくつかのコースの最後の授業では、熱のこもった人生論が教授から語られた。ハーバードのは本にもなっている(参照)。さすがに一コマ割かれたわけではなかったけれど、グローバルのクラスでの話は強く記憶に残るものだった。

グローバル経営論のバーネット教授はユーモアたっぷりで、熱のこもった展開をする方で、いつも週の初めから元気をもらっていた。授業の内容は、米国人の目線から、他国でビジネスをすることの障壁や、どんな新しい人生観が求められるのか、という点を突き詰めるものであった。正直なところ、かなり米国目線の内容であった気もするが、ライス女史の授業や、パンストの話(笑、参考)とかも含めて、自分にとっても発見と刺激がある経験だった。

バーネット氏は最後の授業をこう始めた。
By the way, why are you guys here? I'm asking seriously!
(で、君たちなんでここにいるの?いやマジで。)
級友から、「学ぶため」「ネットワーク」「就活」といったテーマが一しきり出尽くしてから、だんだんと質問は具体的にこのコースはその欲求にこたえられたのか、といった展開に。
「ケースの中で、中国の扱いが偏見に溢れてて厭だった」、「結局Different country is different以外よくわからなかった」といった超正直なオピニオンも出た。これらの苦情にも近いコメントに真摯に答える教授の姿はカッコ良く、生徒の人望を集める理由が再度良く分かるものだった。国と国の間の価値観の違いなど、確かに四半期で「教える/教わる」ことなどできない。

図に乗って自分も発言してみる。
「アジアには、無知の知って言葉があるんですが、この3カ月で、それがようやく体感できたような気がします。」
するとバーネット氏、腕を組んで凍りついてしまった。20秒ほどうつむいてから一言
「その言葉を、初めて聞いた。実際にどんな経験があったのか、教えてくれないか。」
「小さいころロンドンに住んでて、日本に帰国してから、仕事をしている時も、米国人もどことなく同じような人たちだろう、と思ってた。だけど、実際にちゃんと身を投じてみると、日常会話や若者の流儀も違うし、こっちの英国人はカリフォルニア文化に結構疎外感も感じてたりするし… グレーヴィーの味(参照)もかなり違う」
しょうも無いオチをつけたので、案外身も蓋もない話だと分かったのかもしれないけど、何だか納得してもらえた様子だった。

話は逸れるが、MBAの教授のコミュニケーション能力の高さには、いつも驚く。前日までは何も読み込んでいない学生の未熟な会話を、徐々にクラスの中で伝えたいメッセージやフレームワークの理解へと落とし込んで、かつClass Participationを高めるインセンティブを振りまくのは大したもの。学期の初めから、徐々に築かれる先生と生徒の信頼感の良さというのは、双方向の会話が少ない日本の大学では中々感じられなかったことで、どことなく豊かな気持ちになった。

バーネット氏は更に、授業の終盤、またも独白を始める。
「スタンフォードからの合格レター、いや、最近はe-mailか、を受け取った時に、君たちはたぶん凄く嬉しかったのだと思う。だけど、20年後くらいには、それが『普通ではない』人生に君たちを招いてしまったものとして、複雑な思いで見ることになるかもしれない」
「GSBのマントラは、Change the worldであり、この学校に属してしまった以上、君たちはこの呪縛から離れることはできない。「すばらしき平凡」という考えを、心の片隅で必ず疑うことになる。平凡は結構いいものなんだけどね。」
「呪縛から逃れられないからこそ、真剣にどうやったら『正しき奇人(correct non-conformist)』になれるのかにこだわって欲しい。組織や、ひいては時代を変えられるのは奇人しかいない。ただ、奇人は往々にして『単に間違ってるだけ』ということも多い。それにはならないように最善の努力をしつつも、やっぱり『みんなと同じ考えで、結果的に正しかった』という事実に満足しないで欲しいと思う。」
「こうやって口で言うのは簡単だけど、実行したら、本当につらい人生になったりする。本授業では、グローバルな見方の中で、たとえばステレオタイプが生む怖さや、判断のフレームワークを持つことの大切さを伝えてきたけど、そういった助けがあることも、マントラを唱えてしまったGSBの贖罪みたいなものだから、ねえ。」
このあと、何というかぼそぼそと、暗くも力強い話が続いたのち、ふと気づいたように生徒を見まわし、「あ、これで終わりです」と打ち切る。生徒はスタンディングオベーション。

何だか、授業というよりも、発想や創造が活発に行われる場、というのを見せてもらっている気分になった。

First Quarterは、もう本当に慣れないし、文献も読めてないし、ケースも片手間でしか準備する時間がないし、寝られないし、しゃべれないし、同級生の言うことも聞き取れないし、と、時間・能力面でのないないづくしを実感する3カ月だった。2年間ではあと5回、Quarterがあるが、二年生になるころには、もう少し楽になるとは聞いている。とりあえず、「頭でっかちだった自分にとって」たしかにLife Changing, Challenging, InspiringだったQuarterを乗り切った自分を、あんまり調子に乗らない程度に褒めておいてあげたい。

2009/12/05

キワモノ期末試験:Executive Challenge



リーダーシップ・ラボの期末試験は、GSB一年生が47のチームに分かれて戦うExecutive Challengeである。



この企画、全世界から蒼々たる卒業生を呼んで、彼らを相手にハードな設定のロールプレーをする、というもの。学期の初めに聞いたときには恐ろしかったが、チームに支えられて精神力が鍛えられてきたせいか、割とリラックスして臨むことができた。

8人のチームは4×二人組に分かれ、それぞれ異なるケースに挑む。内容は以下の通り。
1.価格的には魅力がある買収案件を、強固に反対する株主に対して説得
2.電気自動車ベンチャーで製品スペックについて妥協することを、頑固な社内エンジニアと協議
3.突如クビになったCEOの地位を継いだ自分が、モラールの著しく低い役員にやる気を出させる
4.魅力的な技術を持ったベンチャーに、仲の悪いメンバーから構成される4人の幹部を全員ヘッドハントする

書いているだけでなんというか疲労感が出てくる設定だが、与えられた15分間の間に、ミーティングを初めて、最終的にコンセンサスを得ることが目的である。15分は圧倒的に短いと言わざるを得ず、自分のチームの成功率は50%。何ともハードだった。
ちなみに、採点はされるが、実際には出席点のみなので、安心してリスクを取った実験ができるようになっている。

自分の出たケース1は、M&Aの案件を、自分のヘッジファンド出身のRと説得するものだった。詳細はこんな感じ。

問題
学生二人が社長・会長を務める会社が破産状態にある製造業を買収することを決定。ただ、ターゲットはダイオキシン訴訟を抱えており、自社の株主のSRIファンドは強固に反対中。また、それとは別のヘッジファンドは自社をリクイデートすることに夢中。既に取締役会9名のうち5名の賛成を取り付けたが、あと2名必要な状況。15分で残り4名中、2名の賛同を得よ。

問題として書いてみると、「回答欄を埋める」という作業であれば、正直なんとでも書くことができる気がする。しかし、それを生身の人間に対して実践させ「怖い思いをさせる」というのは、重要なプロセスだと思う。

結果的に、自分たち二人は、金融用語に踊らされたというのもあって、人間的な説得をすることができなかった。開始3分で、もうちょっとフレンドリーかと思ってた審査員が牙を剥いて、「俺は納得してないぞ!」とキレちゃうのだから、英語力以前の、胆力みたいなのを試されている気すらした。15分が経過してからは、一転して親善モード。何がいけなかったか、どうすればよかったか、を7名の卒業生から逐一フィードバック頂く。中には、「こんな課題が自分の学生時代になかった」「俺もこれは無理だと思う」みたいなコメントも。
審査員も、不動産ファンドの社長とか、上場前にグーグルの役員だった人とか、おっかない人たちだったこともあり、ここで得た教訓を、勉強となったと言わずして何と言おうか。。。

同様に他の3件のケースをこなした後、夜は500名強での懇親会。参加者の中には、Intuitの社長とかも来ていて、すごいものだと改めて感じる。懇親会の傍らにはネットワーキング用のブースもあった。
フレンドリーなコミュニティの付き合いというのは、簡単に言うことはできるものの、実際にこれだけのメンバーを集めたうえで、フランクな関係を簡単に実現しているのはすごいと感じた。そして、ここに入るために、多くの人が巨額の投資をしてきている。
米国というのは階級社会的なのだなあ、と改めて感じる「期末試験」だった。



(参考)
昨年の模様はこちら




2009/11/30

体重管理 2009年11月

2009年
8月末:82kg
9月末:79kg ⊿=-3kg
10月末:78.5kg ⊿=-0.5kg
11月末:78.5kg ⊿=0

なんの変更もなかった。気にしていたサンクスギビング太りも特に影響なく。

2009/11/29

ジャパン・トレック(非公式)へのご協力のお礼

先週一週間、GSB一年生とSOの計11名が日本への旅行を行いました。小生は米国からご協力する形でしたが、飲み会のアレンジや観光プランの手配、企業等へ訪問において、様々な方のご助力を得、非公式のトレックとは思えないほどに充実した旅程とすることができました。今年、残念ながらGSBではジャパン・トレックが公式行事としては設定されていないのですが、今後それを復活折衝していくための、良い先例とすることができました。

出願準備やお仕事の合間の大変お忙しい中、
ご協力頂きました皆さまには厚くお礼申しあげます。
ありがとうございました。


2009/11/27

サンクスギビング休暇@ワシントン

月・火と公式行事で過ごしたあと、週の後半はクラスメートの親戚の家に夫婦で泊まり、ワシントン観光とサンクスギビングを体験する、という、これまた貴重な機会に恵まれた。

これまでも、ワシントンには出張で4回来たことがあったが、会議かメモ起こしをしていた記憶しかない。いつも空港への帰りのタクシーから眺めていた所に、初めて観光客として行くことができた。しかも子どもの頃からずっとワシントンに暮らしていた友達の解説付きで。







行った先はありがちといえばありがちなのだけれど、「これがFBIのビルだよ」「ここがキング牧師の有名な演説場所」といった感じで、適宜こちらのペースを見ながら解説し、運転してくれる友人の存在が大変ありがたかった。あとスミソニアン博物館(実際には自然史博物館や航空・宇宙博物館等の複合)とかの展示物は本当に見事で、友人も将来はこういった所の経営に携われれば一番幸せだよなあ、と話していた。

水曜は観光、木曜は本格的なサンクスギビング休暇を体験。木曜朝は、Macy'sのパレードを彼の奥さんの実家で観賞。ピカチュウの巨大風船にも優しい知人はちゃんと反応してくれた(参照)。その後、彼の実家の親戚に行き、30名近くでのご飯を頂く。



サンクスギビングは米国特有の儀式であり、ロンドン時代はクリスマスの定番だった七面鳥も、こっちではこの時期に食するのが普通らし い。ピルグリム・ファーザーズが厳冬を乗り越えたことを祝った際の料理が、現代では七面鳥、スイートポテトとパンプキンパイへと変換され、定番のご飯メ ニューとなっている。
先週もターキーを頂いたが、こっちのグレーヴィー(平たく言えばドロリッチな鶏
スープ餡かけ)は、英国のそれよりも(残念ながら)すごくおいしくて、おせちよろしくいっぱい頂いてしまう。ターキーの他にも、鹿の煮込みとか、変わった豆料理とか、自家製ハムとか、食が進む。さすがに、パンプキンパイ等のデザートは、控え目といいつつ結構甘かったりしたのだけど、中々おいしい、という驚きがあった。

友人いわく、サンクスギビングは一年の中では一番リラックスできる休暇なのだと。クリスマスは、パーティやらプレゼントやらでやらなければいけないことが多いのに対し、今週は本当に何もしないので、家族としても団欒できるのだとか。そんな、リラックスできたであろう時間を割いて、我々夫婦をもてなしてくれた暖かさに感謝したい。

2009/11/25

ワシントンでの修学旅行


サンクスギビングの週の月・火曜を利用して、学校のパブリック・マネジメント・プログラム(公共政策やNPO経営等が中心)の修学旅行に参加してきた。2年生向けの一行に、1年生十名余が抽選で加わる形式であり、運よく参加することができた。ミーティング相手は以下の通り;

1.国家経済会議の元ディレクター
2.エネルギー省の局長およびCFO
3.ケビン・ワルシュFRB理事
4.ビル・メリンダ財団の水質管理プログラム責任者
5.アショカ財団の創設者とディレクター
6.経済諮問委員会のシニア・エコノミスト
7.ハーブ・アリソン元TARP監督財務次官補(元FNMAのCEO)
8.メディケア・メディケイド研究所の実験プログラムディレクター
9.ゼーリック世界銀行総裁

実は、ワルシュ理事の枠は、当初バーナンキ理事長が予定されていたが、議会での公聴会が入りやむなく変更となっていた。一番の目玉が変更ではあったものの、「公共政策の専門課程にあるわけではない」学生が「入門的に事情を聞きに行く」相手としては、豪華すぎる、の一言に尽きる。

個人的な収穫としては、今までほとんど触れたことがなかったNPOに関する話を聞けたことが大きかった。ゲイツ財団とアショカ財団といえば、片や世界最大の慈善団体、片や世界で最も有名なソーシャル・ベンチャー・ファンドである。ゲイツ財団の方(GSB卒業生)は、なぜそのようなキャリアを続けているのか、といった話を個人的なレベルで掘り下げて聞くことができ、単なる関心だけでなく、モチベーションや、一筋縄ではいかない難しい問題に挑むことの大切さを教えて頂いた。他方、アショカ財団の創設者の話は、不躾な感想ではあるがEntertainingではなかった。ソーシャル・「ベンチャー」であることの大切さを、何度も繰り返し聞く中で、成功する「新しい概念
の組織を作るためには、愚直なプリンシプルを宗教家のように説く人が必要なことを実感。

多くの人が良かったと述べたのは、ハーブ・アリソン元TARP監督者(こちらもGSB卒業生)である。TARPは、金融危機の中でも国民的議論となり、政府の範囲・役割の曖昧さの境界線にあった存在である。
少し意地悪に、投資銀行の未来や、金融イノベーションが生まれる余地について質問してみたが、
「金融イノベーションはもう投資銀行に頼る時代じゃないし、今後はヘッジファンドや独立系の業者が中心になるだろう。金融産業でキャリアを歩みたいなら、自分の
強みが『珍しい』エッジにあることを大事にするべきだ。自分はメリルリンチのパリや東欧オフィス代表に一人で立候補した歌舞伎者だったけれど、それが、リーダーシップ能力の基礎になったのだと思う。人生は一回しかないし、ユニークな機会を求めるべきで、間違っても2000人のバンカーの中で競争するようなレースに自分を突っ込んではいけない」
と、「有名人」としてではなく、「学校の先輩」として真っ直ぐなアドバイスが回答として返ってきた。これまでも繰り返し、米国人の独特のコミュニティ意識を感じることはあったけれども、それが世代間でも生きていることを実感する一瞬だった。

その他にも、エネルギー省では、元々オバマ大統領のイリノイ上院選時に真横でアシスタントをしていたGSB卒業生が30歳前後で再生エネルギーのマーケティング戦略部長として政治任用されていたり、景気刺激策の政策公募担当局長がPEファンド出身だったり、元ロケット・サイエンティストがCFOとして予算の切り盛りをしていたり、、、想像以上に、この国における中央官僚の姿がリーダーシップ能力主導であることに気付かされた。また、公務員の人たちのモチベーションをどうやって上げているのか、といった点を随時聞き、その場で思った疑問をぶつけられる機会となったのが、本当に貴重だった。

修学旅行中のミーティングは、政府やNPOといった普通のロジックが通用しない領域での話であったこともあり、教科書的なビジネススクールの授業内容とは異なる、数か月ぶりに「仕事脳」を使うものであった。ミーティングの合間の話も自然と公共政策の話になったり、日本の政権交代の分析を求められたりと、普段のクラスメートと違うモードで話す機会にもなった。抽選に漏れてしまった多くのクラスメートにもいずれ還元できるように、今回学んで、考えたことをフィードバックしていきたいと思う。

2009/11/21

Week 8 終了

1. 食べ物イベント
CATが終わった今、一年生の多くが冬休み入りしたかのような、リラックスした雰囲気に包まれている。授業のペースはそれほど落ちた気はしないのだけど、全体的にサンクスギビングを前にしたムードが出まくっている。
今週は、アジアソサエティのお寿司会、タイ料理・おでんの少人数ディナー、CATクラスでのプレ・サンクスギビングのお祝い等と、外食が続いた。

手巻き寿司とキンパッの実演。


タイカレーとおでん。タイカレーって、結構控え目にエノキとチキンとかでも美味しく作れることを学習。


CATのチームでサンクスギビング前夜的イベント。ちなみにこのお方、七面鳥だけでなく、米国を代表するあの会社の解体にも大統領特命チームで携わっていたスゴ物である。

2.音楽イベント
スタンフォードには、見事な大聖堂がある。ステンドグラスと共に、中のフレスコ画(というのだろうか)も補修が行き届いていて、本当に見事。
同聖堂で、シンガポールの友人が所属する合唱隊と器楽の合奏があった。聖歌からは久しく遠ざかっていたけど、



3.授業関連
リーダーシップ・ラボが終わってから、リーダーとしてのスキル実践するための実技的な授業が開始。第一回が人の採用、第二回が人の解雇、といった感じで、マニュアル的な最低限の作業にそれを落とした内容が教えられている。もし最初にこれを見たら、マニュアルじゃダメだ、という気分になったが、それを実践する方法論を教示された後だと、結構現実的な内容に見えてくるのが面白い。
あとは、サンクスギビング前で、結構さぼる人がいたりと今までになかった側面もあった。

2009/11/14

Week 7終了

今週はちょっと体調がすぐれず、やや低調な感じで毎晩午前にならないうちに寝ていた。

1.CATの授業が終了

一年生にとっては、これぞ鬼門、といえたクリティカルシンキングの授業が終了。毎週水曜9時に向けた課題の悪夢が去り、それぞれの方法でその終焉をお祝いしていた。わが家は寿司パーティから残っていた獺祭でお祝い。獺祭はこちらの日系スーパーとかでも結構置いているのだけど、こっちの人や、日系人の口にも合うのだろうか。


2.他の外国学生との交流
イスラエルとベトナムから来た一年生と、一時間ほどバックグラウンドや政治観について話し合った。一人は、前職が政治畑のアナリスト、ハーバード大KSGとのジョイントプログラムに所属していて、昨年はジャパントレックで鳩山・麻生の二人とのセッションがあったらしい。もう一人はデンマークの会社で働いていたことがあって、基本年6週間の休暇、家族も含めた医療費が無料、最高税率が85%の上司、といった面白い話を聞くことができた。
先週のグローバル経営論のジャパンセッションでももっとも関心が高かった少子化問題と広義の規制緩和、という二大トピックが、日本を語る上ですごく大事なのに、学術的議論にはかなり偏りがあることを改めて意識する。少子化対策を個人的に説明する時には; 1)若年人口が子どもを持たない選択をする理由の多くは経済的なものとも説明できるはず。昔に比べて、所得の安定性が下がっている(という期待があること)ので、余裕がない。 2)結婚年齢自体も上昇していて、過去の結婚に対する期待感が強いイナーシャとして残っていることが、晩婚化を特に都市部で促進している。 3)いったん結婚した人の出生率はさほど下がっていない。よって、ダイレクトな施策として、婚活とかお見合いが官民双方の話題だったりする。 1)と3)の間には矛盾があるのだけど、3)を見越してあまり結婚をしないのでは、と理解している。本当は経済環境が改善しないとこの辺も回らないのだけど、基本的に一時間とかだと、この辺で話は終わってしまうことが多い。 あとは、民主党政権になって、日本は変わったのか、という質問も多い。外交問題について問われることも。あんまりいい加減なことを言わないようにしつつも、そこそこBuy Japanのストーリーを求められているような、不思議なプレッシャーを感じることもある。

3.グローバル経営論の課題に時間を奪われる
当該授業の課題、6人グループでの共同責任作業となっているのだけど、途上国に米国企業が進出する際にどのような点が課題になるのか、を具体的な例をもって分析している。個人的にやる分にはいいのだけど、残り5人との共同プロジェクトである分、議論にも貢献して、情報量でも貢献して、担当執筆分については足を引っ張らないように、と気を遣うのも事実。大手コンサルやらCIA出身者に対して、情報の使い方でやり合うのも結構疲れるが、これも醍醐味というもの。

4.日本食の開拓

豚骨ラーメンとか



居酒屋とか


を開拓した。前者はごち、というクパチーノの居酒屋、後者はサンノゼのミツワ近辺にある晴ラーメン。サンノゼも含めて、どれくらいのレベルの日本食があるのかがだんだん分かってきた。


来週が終わったら、サンクスギビングで一週間の休暇がある。同週、前半は学校の修学旅行プログラムでワシントンの機関や有名人を訪問したのち、後半は友人に同市を案内してもらう予定。

2009/11/10

寿司パーティー

日本文化をテコにした交流を図るべく、八人チームと二年生のコーチ、それぞれのSOを含む計12人のゲストを迎えた寿司パーティーを開催。準備で週末はてんやわんや。

こちらでは幸い鮮魚はカネを積めば買えるのと、少しきめ細かい料理にも触れて欲しい、というのもあり、メニューは膨張。家内が文字通り奮闘。こういう時に、横で邪魔にならないようチアリーディングに撤するほかなく。

ちらし寿司と手巻き寿司、唐揚げ、他にも生ハムディップやら生春巻きやらバーニャカウダーやら。
握りしかみたことがない人には、手巻きの自由度や、ちらし寿司の盛り付け、ウニってなんだ、といった驚きが多かったようだった。その他にも、ポカリやカルピスといったトリビアに溢れる飲み物と、うまい棒めんたい味(delicious bars, spicy fish egg flavor)、納豆、塩辛等、ありとあらゆるものを食べさせて楽しかった。

極め付けはサケボム(参照)。




留学当初の一つの目標だったので、疲れたけど達成感もひとしおだった。

2009/11/07

Week 6 終了

試験を終えて、二日ほどしっかり休暇をとったら一気に頭がなまってしまい、今週集中力を持続させるのがなかなか大変だった。

1.グローバル経営論のジャパン・セッション
本授業、ラストの数回は国や地域に着目した形で授業が実施される。当該国のケーススタディをやった後、出身者や勤務経験者がパネルを30分ほど展開する
ビジネススクールのケーススタディでは、その立付自体にステレオタイプなバイアスがあることが多い。日本のケースについても想像通り「日本ではガイジンの居場所が少ない。日本の人たちは臆病で保守的、既存の取引慣行を崩すのは難しいし、会議の席次表もこんなにめんどくさい・・・」といった先入観が過度に根付いているように感じた。 個人レベルの会話にこの影響が落ちてくると、凄く窮屈なものがある。それこそ日本企業を二元論で断罪したり、これくらいは従ったらいいのに、という様式への順応も諦める、といった展開にもなりがち。
何とかそれを和らげたいと思い、ちょっと越権行為ではあったのだけど、戦後の成長経済が生んだ企業観や、キャッチアップ経済における制度的補完性、といったことを簡便に図示したら、想定外のレベルで話がウケた。
これらのネタ、ご存知の方はすぐ分かるが、すべて「池尾先生の日本経済システム論」で学んだこと。短時間にまとめるのは苦行だったが、組織の経済学・比較制度分析発祥の地の学生には浸透度が高いことも実験できて面白かった。 http://agora-web.jp/archives/793423.html
展開が面白くて、都合3コマもパネリストを引き受けてしまった。他のセクションとは年明けまでファイナンス以外の授業が被らない為、いろんな学生に顔を売ることができたのは良かった。


2.ゲスト・スピーカーがたくさん
A)プレゼンの超弩級のプロの講義 アル・ゴアやスティーブ・ジョブスといった、世界で最もプレゼンがうまい人たちのプレゼンの師匠をやっているおばちゃんのお話。 http://www.duarte.com/
スライドのメッセージを絞り、ホワイトスペースを活かす。1時間で教えてもらえることは限定されていたけど、とにかく迫力があった。
興味深かったのは、1969年時点で、米国大統領が行っていたスライド・スピーチとの比較。当時、プレゼンはコミュニケーションのプロ、情報分析を行うアナリスト、スライドを描く技術屋、の3人がセットになって作られていた。これが、現在はパワポ一つで個人ができるようになってしまっている。技術としてはすばらしい一方で、以上の専門性の欠落は常態化。このことを意識しないと、いくら優秀な人でもダメなプレゼンしかできない、といったことを繰り返し述べていた。
また、どうやったら観客の知識水準や、承認欲求に合わせた話し方ができるのか、といったことについて、その片鱗だけでも理解できたことが有意義だった。


B)米国イエズス会プレジデント
GSB卒業生で、イエズス会の米国における各管区のとりまとめを行っている神父様が講演。40代になってGSBの学生となったが、その目的は「慈善活動でもバランスシートを読む必要があるから」だったとのこと。
カトリックの世界でも、留学や院への進学(神学以外のジャンルで)は珍しいことではなく、ビジネススクールへの進学も前向きに評価されているのだそうだ。イエズス会の中にも他に3人のGSB卒業生がいるらしい。
学生からの質問にも、「卒業してからもFaithを保つためにはどうすればよいか」といったまっすぐな問いかけもあり、講師も「ビジネスをするときにも、内なる声をちゃんと聞き、導きを大事にしていれば報われる」というコンテクストの会話になった。 日本ではこういう機会がお葬式とかに限られているのだけど、良く考えたらこっちのカトリックの人たちは毎週日曜にこういうお話を聞いている。ガツガツした若者に囲まれるだけでは薄まっていく感性を少し取り戻せたような気がした。

C)ウェルス・ファーゴ会長

金融危機の中を別格の意思決定で生き抜き、バフェットから事実上のNo.1企業の評価を受けたこともある同行。GSB卒業生の会長の話は、まだ現役ということもあって些かヘッジがかかったものだったけれども、言葉の間から伝わってくる「商業銀行に徹する」という強い信念が面白かった。ワコビアの証券部門の継承を受けて、今後は地味に投資銀行ビジネスも拡大していく、という発言に、真っ先に「それでは今回の金融危機の再来を招くのではないか」と学生が噛み付いたりするあたり、ここは自由だなあ、と感じる。

WFは分権を極端にやっている銀行であり、かつオーガニック・グロースに徹している。M&Aの目的は収益の拡大だけであり、大体のケースでシナジーは信じていない、必ず15%のIRRを求める、といった姿勢には、何だかオーナー社長のような貫禄を感じた。 また、内部の文化をどうやって守るか、という点には強く拘った発言があり、GSBで学んだこともまあまあ有益だったけど、それよりも今後成長する人には「1信じることの学士号、尊敬することの学士号、モチベーションと楽しさの修士号、リーダーシップの博士号」が必要なのでは、と述べていた。

D)ネットワーカー:ハイディー・ローゼン

定期的にホームパーティを開き、恐ろしい数のコンタクト先を持ち、必要に応じてマッチングをし、不適なマッチングは容赦なく切断するベンチャー・ネットワーカー。本人自身が有名なケーススタディになっており、最近はさらに、Skinny Songsという「女性のダイエット向け音楽」をプロデュースしたりしている。





いったいどんな奴なんだ、という感じで見に来る観客多数(自分を含む)。
見た感じは、想像通りというか、「鉄の女」という印象だった。ドラマDamageのグレン・クローズとほぼ重なる印象で何だか顔の一部の表情筋が強張っているけど、話が面白い、というか。 ケーススタディのTakeawayとして、コネを作るときには必ず相手にコミットした行動をしろ、というのがあるのだけど、それを地でやるとともに、仕事は楽しく、儲からないとだめ、というまっすぐな主張をしていて、突破力を感じる。とにかくネットワークを作ったり、マッチングをするのではなく、自分の限界や、やるべき仕事の範囲を常に測ることを強調していた。 毎日のようにお昼の時間にこのようなプレゼンに触れられるのは超がつくお得感。最初のうちは、また外部講師か、と思っていたけど、累積的な経験であることの効果はすごいのではないか、と思えてきた。

3.クリティカルシンキングの授業
教授がサディストで、テーマは「貧困の終焉」:ジェフリーサックスの本、イースタリーの本を読み比べて論点を明らかにし、自分なりのソリューションを出せ、というもの。しかも教授はNPO経営論の授業を担当しており、ゴジラに石を投げるようなテーマ設定。これを事実上2日ですべてやれ、というのだから本当に厳しい課題だった。
討論の場である授業は、教授宅で行われ、豪勢なパロアルトの邸宅で、えらい高そうなステーキを囲むという、貧困を語るにはおよそ不適な環境ではあったが、質の高い議論に、結構アグレッシブに参加することができ、個人的には記念となる授業だった。


バーベキューで焼いた肉の量。これで8人分。電話と比較してもでかすぎる。


4.その他 中間試験の結果は、相当出来が良かったものと、不振なものに綺麗に評価が二極化。初めての試験が終わり、全体的にまあ、これならやっていけるだろうと多くの生徒が踏んだのか、授業への参加度は20%くらい低減しているような気がする。個人的には、無理強いなく、発言したい人が話している感じなので、居心地は結構良くなったような気も。自分のしゃべり能力も、だんだんとリラックスしてでいるようになってきた。最初の2ヶ月としては良い滑り出しであるように感じる。あとは、ちょっと寒くなってきたり、毎晩4時寝になっているので、身体を悪くしないようにしたいところ。

2009/11/01

サンフランシスコ観光(初級)

中間試験が終わり、事実上の3連休(宿題はあるけど)になったので、渡航後初めて、生活セットアップとは関係ない休日を経験している。この2ヶ月は相当ハードで休日も何かと課題やイベントがあり、シルバーウィークのお休みもなかった(笑)ので、身体が少し解れる 感じをやっと経験している。

それで、思い立ってサンフランシスコの初級者編観光をしてきた。サンフランシスコ市については港町、という以外には正直何も知らないに等しいので、シーフードと港に絞って見てきた。

Swan Oyster Depot
1517 Polk St, San Francisco
(415) 673-1101
0800-1730(日曜休)

数々の日本人ブログで高評価のシーフードバー。カウンターに15人程度の椅子が並び、エビ、カニ、生牡蠣ほかを味わうことができる。


見てのとおり、地元の人はとりあえず一人で来て、ならんで(20分くらい)、ビールを引っ掛けて、コンビサラダを頼んで帰っていく。もう少し気合を入れてきた人は、生牡蠣を6個ずつくらい、商売相手と食べたりしている。平日の昼間なのに。




上から、コンビサラダ、エビのカクテル、クラムチャウダー。こちらに住んでいると、海産物が豊富とはいえ、なかなか新鮮なものに出会うことが日常的にはできない。その点、ここのは大満足。コンビサラダは、一見これで19ドルも取るの、という感じなのだが、カニやエビが雑に置かれているのに、凄く身が詰まっていて、こっちの人の「盛り付けにこだわらない」文化を感じさせる。



そして生牡蠣。わが家は過去に生牡蠣の毒牙にかかったことがあるので、トラウマもあるはずなのだけど、そんなのお構いなしに食べる。これで10ドルくらいと安い。
お店上記と飲み物を合わせると軽く5000円(強い円換算)行くのだけど、これは毎回来ることになりそう、という印象。お店のおっさんたちが気さくで、米国とは思えない接客姿勢。「客の食うぞ」という雰囲気と、カウンター内の一体感を味わうに一つのお店を思い出してしまったが、文字で書くと何だかアレなのでリンクだけ張っておく(参照

なお、お店は1730には閉まってしまうので、並ぶ時間がないのであれば、1130までには来たほうがよいみたい。

その後は初心者的市内観光。


サンフランシスコは、本当に何でこんなところに街を作ったの、という場所。坂の勾配が常軌を逸している。四駆の車が売れる理由がわかる気がする。
車があると足が疲れない分、この点が満喫できる。そして、坂を上りきると海が見える、といったワンダフルな景色も一杯味わえる。


そういえば路面電車も健在。どの電車もほとんど満員の状態で走っている。


フィッシャーマンズ・ワーフから観たアルカトラズ島。元・アルカポネの収容されていた刑務所。海が多いと、晴れやかな気分にはなるのだろうけど、監獄だものなあ。
過去に、ここからプリズンブレイクした人たちは結構いたのだけど、海流は激しく、ほぼ全員が溺死か射殺だったのだと。ちなみに、この海にはちゃんとサメも泳いでいるそうです。


ワーフから見た市街地。山間を全く無視して建物がぼこぼこ建っている感じが面白い。


ちなみにスタンフォードのあるパロアルト市からサンフランシスコ市内までは、道がすいていれば1時間程度、込 んでいれば1.5時間強といったところ。前日のラヴィシャンカールのライブと合わせて、渋滞で悪名高い道路「101」の餌食には3回なったが、夕方の時間 帯は上り下りの両方とも、レッドウッド付近で結構混むイメージがある。

2009/10/31

体重管理 2009年10月末

2009年
8月末:82kg
9月末:79kg ⊿=-3kg
10月末:78.5kg ⊿=-0.5kg

生活環境はほぼ落ち着き、欠食やストレスによる減量への寄与度は減少。一方、自転車を盗まれたことにより、往復計25分程度のウォーキングによる効果(チャリ通学効果を差し引いたネットベース)が発生している。朝は所要13分の距離を10分で歩いているので、かなり競歩気味。あと、食生活でも昼はサラダ(といってもボリューミー)の日とかが増えた。あと、勉強もそれなりにしてるので、脳みそも結構カロリー消費してるはず。
以上を合わせると、複数のエネルギー消費理由があるのに、さほど減量が起きていない気がする。11月あたりからは運動量を増やさないと増加基調となるかもしれない。

2009/10/30

ラヴィ・シャンカール@サンフランシスコ

中間試験が終わり、インド人夫妻に紹介されたラヴィ・シャンカールのライブを聴きに行った。
http://www.sfjazz.org/concerts/2009/fall/artists/shankar.php

前日まで試験勉強できりきりまいだったために、最初は「民族音楽」くらいなのだろうと思っていったのだが、どうも着いてみると雰囲気が違う。皆が超集中して、一つの音も聞き漏らすまいとしている。そもそも主催はサンフランシスコのジャズ音楽のプロダクション。

曲目すら良く分からなかったのだけど、どうもフュージョンっぽいけど伝統的な楽器ばかりでやっている感じ。前半の部はアルファ波全開で、夫婦共々ストーンと睡眠天国へと誘われた。(大変気持ちよかった)

そして後半。だんだんとジャズっぽさというか、セッションが盛り上がりを見せる。親子での競演なので、相性はばっちり、という感想を書きたいのだが、あいにくシタールの演奏を聴くのは初めてなので何ともいえなかった。
ただ、どんどんとジャムセッションは盛り上がっていく。何ともいえない打楽器やスキャットの応酬、ご老体の指から弾き出される軽快なリズム、お前はジミヘンかと思わせる娘のピッキング。後半は全く睡魔に襲われることなく、楽しむことができた。

終わった後、どうもスタンディングオベーションやおじいさんの挨拶する回数が多くて、この人は只者ではないのでは、というのが理解できてきた。
驚いたのは帰ってウィキペディアを開いたあたりから(参照)。シタール、という項目を開くと、このおじいさん、奏者として最初に出てくるのがこの人。ジョージハリスンの先生でもあったらしい。そして御年89歳。おじいさんとは思ってたけど、こんな長者であったとは。
さらに、ぶったまげた、のは、この人、ノラジョーンズのお父さんだったことである。何だか年齢が合わない気もするが、演奏していた娘とは異母姉妹で、娘のほうは自分とほぼ同い年。世代を超えた存在であることが良く分かった。

インドの文化は深くて、まだ良く分からない。これはおそらく冬にインド旅行をすることになると思う。

ご参考までに本人の演奏動画。確かにAcross the universeとかではこんな音色が使われてたな、と事後的に確認できる。


その2.Across the universe



その3.ジョージハリスンとのレッスンシーン

2009/10/25

典型的な一週間 (EAP中)

GSBの生活は、基本的に月火木金に授業が集中している。EAP期間中の自分の時間割は以下の通り。

月 1000-1130 グローバル経営論
  1330-1500 組織行動論
  1515-1700 企業戦略

火  800- 945 ファイナンス

水  830-1130 リーダーシップトレーニング

木 1000-1130 グローバル経営論
  1330-1500 組織行動論
  1515-1700 企業戦略

金  800- 945 ファイナンス
  1330-1500 クリティカルシンキング


これらの授業には一コマ最低でも2時間は確保したいところ。2時間では、ケースをざっと読み込んで、そこそこの論点を考えるのが自分の限界。ケースとは別に30-40ページくらいの読み物が付随していることが多く、これらは本当に流し読みになっているのが正直勿体無いところ。授業によっては、事前に指定されたチームでどんな戦略を提案するのかの検討を要求する例もけっこうある。
加えて、クリティカルシンキングの授業において、毎週水曜21時締め切りのペーパーがあり、読書やDVDでの情報インプットと作成、ライティングコーチの査読に出すプロセスも含めて、個人的にはのべ10時間くらいを費やしている。
上記を合計すると、一週間だと準備・課題作成に最低28時間は確保する必要がある。平日だけで換算すると一日(集中した)6時間弱。付加的なリーディングに10時間くらいそれとは別に割くため、平均的な就寝時間は3時過ぎくらい。結構勉強しているなあ、という実感はある。
惜しむらくは、すでに「情報量のオーバーキャパシティ」を実感してしまっていること。すでに理解ができていることだったら良いのだけど、中々授業の復習に割く時間が確保できない。ほとんどの日において、時間的余裕がないために、家に帰ったらすぐに次の日までに必要な課題のリストアップを始めてしまう癖がついてしまった。そうすると、その日のケースを通じて考えたり、浮上した疑問については正直手放しになってしまう。なんとかしたいところ。

2009/10/24

Week 5 終了

今週はいつにも増して大変な一週間だった。中間試験前に、中間課題なるものが3件課されており、普通のワークロードに更に嵩増しした感じ。来週は試験なので、週末も一応勉強ということになっている。

0.EAPについて

本ブログで触れてこなかったが、現在GSBの一年生はEAP(Exclusive Academic Period)と呼ばれる「学業専念期間」にあり、これが中間試験が終わる来週まで継続している。この期間が2年間の間では一番大変だとか、就活しないで済むからまだいいとか、そんな意見がちらほら。原則的にクラブ活動(ビジネススクールには職業系クラブ(金融、コンサル、マーケティング等)、体育系クラブ(サッカー、アメフト等)、その他(愛犬、ワイン等)がある)も禁止されている。これが来週から一斉解禁になる予定。

1.課題の山
グローバル経営論、戦略論、リーダーシップトレーニング(後述)の課題がそれぞれあり、平均して5-6時間くらい消耗。これに加えていつもですら読みきれてないコースリーダー(読書)があったので、今週は授業が消化不良も良いとこだった。消化よりも、もはやコールドコールを巧く避けるか、何とかやり過ごすかというゲームになってしまった。
課題については、英語を書くスピードはそれなりに上がってきた気もするが、やっぱり元々何を書くかに時間を消耗する度合いは変わらない。クリティカルシンキングの授業を通じて、少しずつこっちの人に受ける思考方法や、テクニックを学ぶことはできている気がするが、中々ブレークスルーとか、そういった物がある分野ではないので着々と、とにかく書いた枚数や貰った点数の累計とかで、自己満足を覚えていこうと思う。

2.友人の誕生パーティに飛び入り参加
こんなに忙しい週だというのに、友人は誕生パーティを開催。たいしたものだ。アイスが好きらしくアイスパーティなるものだったが、家にあった調理用の日本酒を持参して、少し飲ませて帰ってきた。

3.チームからのフィードバック
リーダーシップトレーニングの授業では、以前書いたチームのメンバーから、綿密に「どのようにコミュニケーションスキルを磨くべきか」という批評を半期ごとに受け取ることになっている。今週はこれがあり、7人のチームメートにそれぞれ30分~1時間のフィードバックを記入した。提出時間が過ぎると、逆に自分へのコメントが閲覧できるようになる。
フィードバックでは、必ず長所と短所をセットで書くようにできているので、改善点についても本当に忌憚のない状況で反省点が示される。まだ一読した限りだが、これが本当に有益なものだった。ビジネススクールというRisk Free Environmentの中で、レベルの高い学生の綿密なやり取りから生まれるラーニングは貴重なものになった。こういったフィードバックをもらえることが、ウェブベースのMBAプログラムとは異なる点だし、フレンドリーな学校ならではの醍醐味なのだろう。

4.ファイナンスの授業はちょっと楽
やっぱりこれは少し楽をしてしまっている。MM定理とかをゆっくり解説してもらいながら、色んなことに想像を膨らませられるのは結構豪華な時間。
ファイナンスの授業は、一応最上級のクラスに入れて貰っているのだが、経験者は皆ちょっと退屈しているような感じ。パソコンを原則持ち込んでエクセルをいじる授業(必須ではないが)なので、何人かの学生がデイトレに勤しんだりしている。ただ授業そのものも楽しいので、頭の体操には良い感じ。朝から8時の授業なので、まあ、しょうがないのかも。。。

2009/10/23

ロシア著名投資家の講演

中間試験前で慌しいGSBの毎日。そんな中、ロシアで投資活動を行う卒業生ビル・ブラウダー氏の講演があった。ここ2年ほどで聞いた中では、一番エキゾチックな内容の講演だった。




同氏はロシアで13年前よりエルミタージュ・キャピタルという運用会社を創立している。ロシアでもっとも有名な「アクティビスト投資家」であるそうな。ただ、そこにいたるまでのキャリアも非常に面白い。以下だらだらと箇条書き。


・祖父はカンザス州出身。祖父は牧場を経営していたが、売却することになり近くの工場に勤務。工場内の組合活動で頭角を現し、次々に大きい組合へと転進。組合活動が嵩じて、最終的にニューヨークで「米国共産党書記長」となる。その後、ロシアに移動し、祖母と出会い結婚。米国に戻る。
・そんな祖父を持つビルは(共産党一家に対する)反抗期になってスタンフォードGSBに進学。しかし、就職する前になって自分の競争優位は祖父だ、と気づく。東欧でのビジネスを2年生だった1989年に模索。そんな人は当時全くいなかった。
・ボストンコンサルティングのロンドン支局に変わったマネージャーがおり、「東欧ビジネスが立ち上がった際には君が責任者になれ」というお触れで採用。さっそく、東欧でのコンサル仕事を探し始める。
・当時、ちょうどポーランドのバス会社が世界銀行がらみでコンサルを探していた。仕事自体はリストラ絡みのつらいものだったが、現地の新聞を眺めながらポーランドでは民営化が進展していて、株式の公募が行われていることを知る。財務諸表を見てみると、どう計算しても「株式の公募価格が前年一株利益の半額」という水準になっており、とりあえず全財産の4000ドルを同株式につっこんで見た。
・1年後、株価は10倍に。10倍に増えるのを見ると、身体に変な薬物が流れるのを感じた。東欧はとんでもない場所なのではないかと思い、ビジネスをしなければ、と確信。
・ソロモン・ブラザーズに移籍。入社当日、「給料の5倍稼がなかったらクビ」と宣告される。で、とにかくポーランドやハンガリーの民営化案件を回ってみるが、全くサークルに入れてもらえない。しょうがない、と思っていた中、ロシア市場にもたまたま目を向ける。当時ソロモンはおろか、ウォール街の人間は誰もロシアで投資銀行業務をやっていなかった。東欧担当だったので、勝手にロシア担当も襲名。
・ロシアで、漁業権の買収に関する助言案件をゲット。20億ドル相当の船舶を、250万ドルで買うべきか、という助言であり、おそろしく簡単であると共に、例の薬物が流れるのを再度感じる。
・こんなに美味しい話があるわけがないと、モスクワで情報収集を実施。すると、今度は国民に国営企業の民営化バウチャーが配られていることを知る。その額が、全国有企業の30%の株式で100億ドル。安すぎると感じ、ソロモン内で騒ぎ始めたが、当時は「お前どうかしてる」という態度で相手にされなかった。
・当時の超上級幹部からこの件でプレゼンを頼まれる。熱心にプレゼンをするも、彼は興味がなさそうにしており、全く相槌を打つことなく、20分ほどしたら部屋を出て行ってしまった。途方にくれていると、十分後に戻ってきた。「こんなにすごい話は聞いたことがない。リスク管理部に今2500万ドル投資するよう言ってきた」。
・投資を行ってみたところ。7ヶ月でポートフォリオが5倍に。
・1億ドル稼いだ男としてエコノミストに紹介される。同時にソロモン内で一躍引っ張りダコに。社内にロシア・タスクフォース委員会が設置されるも、どう見てもパートナーが自分の手柄の横取りをしているようにしか見えなかった。退社し、1996年、自分でエルミタージュ・キャピタルを創業。
・とある大型プライベートバンクから2500万ドルの運用資金を獲得。投資先として、石油企業に目を付けた。当時。クレディスイスがアナリストレポートを発行している会社は、ほとんど差がない同業他社の10倍の株価がついていた。よって、カバーされていない銘柄を独自に調査をし、投資。
・最初の一ヶ月で35%、二ヶ月目に40%のリターンを記録。プライベートバンクの顧客から運用資金が殺到し、一気に元本が1億ドルに。その後、18ヶ月で800%のリターンを記録した。
・30代前半、800%、楽しい毎日、ヨット生活のススメ。これらは、全部「売り」のシグナルだったのだけど、全部見過ごしてしまった。
・ロシア危機が発生。10億ドルの運用資産は一気に1億ドルに。資産が減る中で、投資先企業からロシアの不正勢力に資産を強奪されていたことに気づく。
・情報を集めると22人の重要人物が、ありとあらゆる形で、国有企業等から原油等の権益を奪っていた。
・当時、ガスプロムはエクソンモービルに比べて0.3%の株価しかついていなかった。その理由は権益が強奪されていると思われていたから。ただ、さすがに0.3%はないだろうと思い、調査を開始。40人の重要人物に会食を申し込む中で判明したのは、人々の不正に飽き飽きした態度と、すさまじい額の横領であった。9人の重要人物が、エクソンモービルの有する権益の規模に相当するガス田を手に入れていた。しかし一方で、その規模はガスプロム全体の9%に過ぎず、まだ多くがガスプロムに残っていることも分かった。
・さっそく投資を実行。同時に調査結果をFTやWSJ、ビジネスウィーク等のメディアに一斉に送りつけた。クレムリンは火の海に。同年後半、プーチンが大統領に就任して最初に行ったのは不正問題の浄化であった。
・ガスプロムの株価はその後100倍に。その後も銀行等への投資を行って今に至っている。
その後ビデオによる解説



http://www.youtube.com/watch?v=ok6ljV-WfRw&hl=ja

要点は
・07年に国家安全上の脅威として入国拒否。その後のダボス会議でメドベージェフ氏にビザの発行を頼むが、快諾されたと思ったら、自分のオフィスへの捜査が行われる。持ち出された企業の重要資料を用いて、12.6億ドルがなぜか横領される。その上、2.3億ドルの納付済みの税金が別の犯罪グループに横領される。担当弁護士も逮捕されたりしていて、色々大変。


ブラウダー氏はソロモンで荒稼ぎした人に多いような気がする涙袋をしていた。それは良いとして、最初はアントレ的な視点でビジネスを拡大しながら、いつの間にか命を狙われるような存在になる躍動感。1時間の講演で聞けたことは限られていたが、パワーはすさまじいものがあった。

日本でもジムロジャーズの世界行脚本が結構読まれていたりするくらいなので、90年代央のようなエキゾチックな海外投資というのは、ちょっと今の世界では考えづらい。ただ、同じくらいに誰の視点の中心にもない運用機会・ビジネスというのは存在するはずで、そんな対象に頑なにコミットする人ってこういう人なんだな、という感想を持った。あと、独特の出自というのは別に成功していなくても話として面白かった。そういうものを大切にしながら、ビジネスをすることは大事なんだなあ、と感じた。

2009/10/19

Global Fiesta Day

毎年開催される万国料理自慢大会。自分の発案で、ウォートンの同様イベントで高い評価を受け、諸所でも「もっとも完成された日本料理」としても名高いジャパニーズ・カレーを出してきた。家内が夜なべして玉ねぎを煮詰めて作ったカレーの受けも良く、1.5時間くらいで完売。初めて食べた人たちには新鮮な驚きだった模様。一方ニューヨーカーの間ではゴーゴーカレーの評判がすでにそれなりにあって(超推奨記事)、カツはないのか、とまで言われた。

イベントに際しては、料理だけでなく服装の万博にもなることが予想された。いちおう、浴衣というオプションはあったのだけど、敢えてキワモノでいくことにした。













参考資料







by [Z]ZAPAnetサーチ2.0







by [Z]ZAPAnetサーチ2.0

これを不審者と言わずして(以下略)

カレーは自己評価でもすごくおいしかったと思うのだけど、どう考えてもビジュアルの方で目立ちすぎてしまった。東京ドームシティに日曜日に参集するコスプレーヤーよろしく、夫婦で写真をせがまれまくる。
ただ、ショックだったのは、ポケモンの知名度。日本のソフトパワーを信じすぎていたのかもしれないけど、たぶん7割くらいの人が「黄色い服は何かのアニメだろう」という感じで興味を示してきていた。Pokemonを知っている人はいても、Pikachuを知っている人は全体の1割未満。Pocchamaに至っては日本人の間でも全く知られていない。別に知っていて当然とは思わなかったけど、常識ってこういうものなのか、という発見であった。

大人数向けの料理においてはカレーが良いのかもしれないけど、やはり少人数で寿司を振る舞うのももうじきやりたい。こういう機会を通じて、それなりに日本の個性への理解を広めていきたい。まだGDP3番目の国なんだもの。

2009/10/18

歌舞伎公演@サンフランシスコ

サンフランシスコ州立大にて行われた歌舞伎公演に、インド人夫婦と一緒に行って来た。
サイトはこちら

日本でも本年の7月だったか、国立劇場でやっていた歌舞伎教室には行ってみたのだけど、正直こっちのほうが外国人向けに良く練られていて、面白かったような気もする。さすがエンタの松竹、というパワーを感じた。出演は中村京蔵氏および中村又之助氏。

前半は裏方の説明や、楽器の用いられ方が解説された後に、鷺娘が演じられた。鷺娘では引き抜きがテンポ良く3回ほど行われるので、初見の人にも優しい構造になっているのかもしれない。最初の10分ほど、おそらく睡魔と闘う方も多かったのだと思うのだけど、それを耐えた人たちは、相当集中した目で舞を見ていた。

後半は、よりいっそう盛り上がりを見せた。まず、女形の歩き方の基本や振る舞い、感情表現の説明がなされた。さらには、女形の化粧や着付け等、日本でもお目にかかれない舞台裏が壇上で拡大カメラを用いて解説される。その後実践編のように、石橋(赤と白の鬣を持った獅子が頭をぐるんぐるん回すのがハイライト)が実演された。
これほどまでに、歌舞伎への入門のハードルを下げた構成は見事なものだと思った。個人的にも満足したし、同伴した友人夫婦も結構満足いただけた模様。
ロス、サンフランシスコの後、シアトル、ポートランドおよびデンバーで公演をやるとのこと。その内容において、領事館の人たちによる通訳が入ったり、米国滞在暦が長そうなおっちゃんのうまい解説が入ったりと、細かい手作り感が大したものだと感じた。

話題は逸れるが、アジア人の飲み会では、複数の全く別の会話から、「日本語は話せないが読める。きっかけはFFかドラクエ。これをやるために、必死で日本語を読めるように勉強した」と言われて感動した。その昔、英国でケロケロケロッピがやたら人気だったりしたときに、この名前の意味を教えてくれとせがまれて困ったことを思い出した。文化のパワーが強ければ、言語や周辺環境への理解も必然的に追いかけてくるもの。別にゲームやキャラクターだけがソフトパワーではないと思うけど、もっと戦略的に、こういった文化を地道に売り込む努力の大切さを痛感し、各地の領事館の方々のご努力に改めて敬意を感じた。今日の歌舞伎は最後にはスタンディングオベーションで幕切れとなった。こういった取り組みが、たとえば一人でも多く子どもに日本語を習わせようとか、日本に旅行させてみよう、といった行動につながってくれれば、と思う。
そういう意味では、明日はGSBのグローバル・フィエスタなるイベントが開催される。こちらは日本食の中で最近もっとも外国人受けするとされる品を用意中。身近にできることから一つずつ。

2009/10/17

Week 4 終了

今週は宿題やらを片している間にさっさと過ぎていった印象。ようやく、学生生活、という状態に身体が移行してきた。一週間のハイライトは当然ながらCondiの授業であった。ただ、他にもケーススタディでいよいよ深遠なテーマを扱い始めたり、学生間でのグループプロジェクトが始動したりしていて、何かと多忙。


1.銀メダリストの話

Condiとの授業で発覚したのは、自分のクラスにも北京五輪での銀メダリストがいた、ということ。水球で獲得した銀メダルを、なぜかCondiとのツーショットを撮りに行くというサプライズ。ちなみに、同じ学年には一人、ブラジル人のプロテニスプレーヤーがいる。GSBでスポーツができる、という為には、長らくやってました/コーチしてました、というだけではちょっと厳しくて、惑星レベルでのプロであることが必要なのかもしれない。

2.テニス会
スポーツ繋がりでは、スタンフォード日本人会のテニスに初参加。2年ぶりくらいにラケットを握り、順調な衰えぶりを実感。皆さんもレベルが高い。勉強ができる人は上達もうまい、というのを強く実感。学生時代から、ミスが多いテニスを克服しようとしてきたけど、今後継続参加できたら何とかそのあたりから改善していきたい。

3.性格診断
リーダーシップの修練において、自分を良く知る、というのは強く意識されたテーマである。今週、非常に面白く、かつ学習できたのは「自らの素性」をマイヤーブリッグズテストで判別し、それをどう変えてきたか/変えていくのか、を議論できたこと。このテスト、自分にとっては恐ろしく精度が高かった結果が出ていて、分類(外交的・内向的、表層的・文脈的といった項目4種類で性格を16種に分類)もその度合いもばっちり思ったものが出ていた。一言で言ってしまえば、論理的思考が不得意、内向的、情報判断が文脈重視等。これをベースに、どんなスキルを伸ばす必要があるのか、をディープに話し合うという授業があった。
自分が一旦何らかの枠付けをされてしまうと、そこが思考の参照点になってしまう、というデメリットはあるのかもしれない。けれども、それが真摯な悩みの出発点になることも確かで、こんなにオープンな雰囲気のある場所でなければ、面倒に感じて「流し」てしまったのかもしれない、と思った。

4.アジア人の飲み会
韓国、中国およびタイ、というアジア共同体のような飲み会が週の終わりにあった。マンツーマンで話すと何となく感じる、カリフォルニアの雰囲気と、100%溶け込めないシャイなアジア人感情というのが、爆発していたような印象。
こちらの風土は、初心者にはちょうど良いのだが、段々とこちらのコミュニケーション能力が増してくると、本格的なスピードが非常に速いことに改めて気づき、たまに怖気づくことがある。特に、英語圏に初めて住む、みたいな人も、かなりマイノリティーとはいえそれなりにいる中で、同様の不安感というのが、フレンドリーさの陰にはあるような気もする。こういうのを溜め込まずに、積極的に開放する場を設けているのだなあと、素直に感心。うまくついていけないと夏目漱石同じくホームシックになってしまうので。

5.やっぱり肉がうまい
Whole Foodsに行くたびに、肉コーナーで目移りしている。こちらはなんだかんだで、肉がうまい。「○○地鶏」とかがあるわけではないけど、しっかりと管理された環境で育てられた肉類が豊富。
今週はラムチョップに挑戦。滅茶苦茶おいしかった。
材料費的には写っている分で300円くらいのお肉。日本だと中々チャレンジできない(といっても挑戦しているのは妻だが)ものにも、結構気軽に飛びこめる価格帯がありがたい。

2009/10/13

スーパーゲストによる講義

本日と木曜の2回、グローバル経営論の授業はスペシャルな教授が行うこととされ、一ヶ月前ほどから話題として盛り上がっていた。



その人物は、なんと、



















ライス元国務長官。
元々スタンフォード大の政治学教授であり、93-99年の間、副学長も勤めており、本年政権が代わるまで国務長官であった。今年の春から、再び教授職に就いている。GSBで授業をするのは久しぶりのことらしい。必修科目で、64名のクラス相手に二コマ授業をする(6クラスあるので、合計12コマ)ということで2年生からもうらやましい、といった声を聞いていた。
いつもの担当教授も 「今週は Condi Week だぜ!」とノリノリ。

第一回のメインテーマは、国際間での制度の違いについて。一回目は、国家レベルおよび国家間でのコンフリクトが取り上げられ、怒涛のケース3本(+今までに読んだ2本)が事前課題に。カバーされたトピックは以下の通り。

・ドバイ国有会社による米国の港湾買収
・イーベイの中国進出(失敗)
・グーグルの中国における戦略(政府による検閲との戦い)
・ガスプロムと国際政治
・EUでのマイクロソフトへの課徴金

正直幅広すぎる感じで、総花的な議論にならざるを得なかったのは残念なところ。ただ、ケーススタディの実際の主人公であることや、実際にネゴシエーションの場面、政治家としてできることの限度などについては、ノートには残しきれないメッセージがあった。授業中に発言をしたものの、やっぱりちょっと緊張したというか、歯切れが悪かったような感じ。

本題とは違うけど、やはり佇まいがすごい雰囲気を出しているというか、50代半ばには見えない若さ、すごく似合ったスーツとか、そういう外見も印象に残った。


第二回の授業は、日本でもたまに行われる模擬国連の、イランに対する制裁協議版。
事前にケースを読み込み、当日は一人ひとりが6カ国の首脳(トップ、外相、財務相、防衛相)としてのロールプレーを行う。自分はガイトナー。ガイトナーだけど、結局国務長官のヒラリーに伝言や分析を届けたりするようなお使い役。授業の組み立て自体はよくできていて、偽物のNY Timesの記事とか、途中で情勢が変わるような設定があったりと、盛り上がる楽しい授業だった。
ただし惜しむらくは、ライス教授の役割は、最初に指名を読み上げて、ゲームのルールを読み上げ、最後に5分ほど感想的なことを述べるのみに留まったこと。すごいゲストの周りで、ほとんど彼女無視でやんや議論をする、というある種の貴重な体験はできたのだけど、第一回に比べると、せっかくのインプットの機会が格段に少なかったのはちょっと哀しい。

二回の授業を経て、もっとこの人の授業を受けてみたい、と思ったのもあるけど、それ以上に、上述の文章にも見られるようにライス女史に対してすらDemandingになっている自分の姿に驚いた。まあ、それだけ、このMBA生活から得るものを最大化したい、という欲求が身体に染みつきつつあるのだと思う。

当然だけど、有名人が授業をしてくれる、ということ以上に、そのことが持つ意味も考えさせられた。国を挙げて若者を育成する姿勢や、ライス自身が結構授業が巧かったということ、学生側も全く臆せずにブッシュを茶化す質問をしたりしていること等、中々発想が及ばないことが、こちらでは常態となっている。これを不思議な体験としてではなく、日本でも応用可能な事例を考えて、この貴重な体験を活かしたい。

2009/10/11

スタンフォードでの食生活(初級編)

こちらにきて、ポジティブサプライズだった二つの点は、一つは学生の質の高さであり、もう一つは食生活のポテンシャルの高さ、である。後者について少し記しておきたい。

米国の食事というと、普段は、こういうのが想起される。


ただ、こういうものは、正直週に一度食べるくらい。20代後半にもなって、そんな簡単に味覚が変わるわけもなく、身体が求めるものはほとんど日本での嗜好と変わらない。
平均的な食事生活は;
昼は学食でメキシカン等のエスニック料理かサンドイッチ(どちらも6ドル程度)・サラダ(5ドルくらい)で「済ませる」という感じ。GSB内の学食は、正直東海岸の某有名校(Hではない)の学食カフェで売られているものよりははるかにマシであり、案外満足していたりする。ちなみに、どこでもフルーツ盛とかがあって、これはすごく美味しい。
夜は結構な頻度で、家で和食、という感じになる。

昼も家で食べられる日が1・2日はあるので、結局自炊のレベルを高めることにわが家の経営資源は現在割かれつつある。

日用スーパー

まず、ヘビーユースの普通のスーパーは以下のラインナップ。

Safeway:メンローパーク、車で8分程度。
でかく、日用品も揃う大型スーパー。物を選べばまずまず満足できるのと、何より近いのが利点。ワインもここは蔵か、と思うくらいにある。牛肉はこういうところでも、かなり安く、ステーキにして美味しいお肉が手に入る。

Whole Foods:サニーベール、15分
野菜・フルーツ・肉・魚が大変充実。鶏肉も美味しい。ここのトマトは、これまで食べたことがなかった位美味しかった。フルーツも然り。

チーズ、ワインも一杯揃っているのだが、後者は加州発行の身分証明書が必要なので、買うことができない(日本政府発行のパスポートはダメだった)。ちなみに、日本酒も入手可能(こちらもパスポートでは買えない模様)。



日本食スーパー


スタンフォード大学の近くにある日本食入手経路(あくまで一ヶ月間で把握できるレベル、初級編)は主に3ヶ所。

ニジヤマーケット(Mountainview、車で15分程度)
http://www.nijiya.com/
割と近い日本食スーパー。80年代終わりから5年間、ロンドンに住んでいたころ、ほとんど大型日本食スーパーというものがなく、最後のころに進出してきたヤオハンを見て本当に感動したのだが、ほとんどその時の規模そのままな印象。


ミツワマーケットプレイス(サンノゼ市内、30分)
http://www.mitsuwa.com/

ウェブサイトにもあるように、紀伊国屋書店やレンタルビデオも隣接する大型スーパー。ここで文句をいうようだったらもう海外に住んだらあかん、という気分になる。ここを上回るのは香港とかのスーパーとかくらいだろうか。サンノゼが日本人街としてはかなり古株であることを、何となく理解できる。

あまり良いサンプルではないかもしれないが、納豆とかも結構な種類が手に入る。

あと、お魚とかも。


マルカイ(クパチーノ店、25分)

http://www.marukai.com/

ダイソーとビアード・パパが隣接するスーパー。こちらも大きい。冷凍物のラインナップ、お刺身の質はこちらの方が上のような印象。



冷凍の干物とかも手に入るので、何というか「あー日本食、食べたい!」というときにも

こういうものは、結構手軽に家内に作ってもらえたりする。極楽。



はずれの存在


外食については、トラックレコードが蓄積されたころにまとめて紹介しておきたいが、選べば美味しい、という印象。
最初に食事の「ポテンシャル」という表現を用いたのは、ハズレはしっかりありますよ、という例もあるということ。たとえば、GSBの学食で売られている;

とかは、見た目は結構いけそうな感じなのだけど、ほとんどコナモノのエビ、味がついてない牛、ぼっそり芯の残っているごはん、野菜は枝豆と生姜だけ、という感じ。見た目で選んではいけない。


まずは初級編はこんな感じ。中級以上に発展することを長期的に期待。

Week 3 終了

生活の立ち上げフェーズから、徐々に授業に集中していくような段階にある。

1.Section Olympics
日曜に、64名からなるセクション(クラス)同士で対抗するSection Olympicsが開催された。



各セクションごとに共通のシャツとかを用意するケースも発生。しかし、自分の属するセクションはチームカラーのピンクを纏う。こんな色のTシャツは初めて。
チームとして微妙な結果に終わったが、どちらかというと全員で何かをやる、という一体感が重視のイベントで、楽しかった。

2.Wallyball
Olympics後、ウォリーボール(スカッシュ用のコートで行われるバレーボール、横の壁は使用可能)のGSBのチームに混ぜてもらい、初戦を勝利。


ただ、運動会と本競技で、久しぶりに身体を酷使し、月曜は動けないくらいに腰が痛かった...

3.友人夫妻とご飯
クラスで一緒のインド人夫妻に夕飯に誘って頂いた。彼の前職はBCGのシカゴ拠点。問題なく英語はできるし頭は切れる上、非常に親しみやすいキャラクター。インドマグロの話から、なぜかホストが客のツケが払えなくなったときにマグロ漁船に乗る、みたいな話をする。奥さんもおそろしく社交的。多人数で話をしたり、授業の流れを読んで英語を話すのは結構難しいけど、こういう形で少人数で、自分の組み立てた話題で中心で話すのはハードルが相対的に低いのかもしれないな、と思った。

4.車で最大のポカミス
木曜に、朝から晩まで授業を受けた後、そういえばガソリンがそろそろ切れるな、と思い帰宅してから超近所にあるガソリンスタンドで給油。
家に帰ったころに、ふと気づく。あれ、ディーゼルって書いてなかったっけ。レシートを覗くとまさにその通り。普通は走れないらしいのだけど、少量のガソリンが残っていたので走れてしまったらしい。結果はこんな感じに。


人生初のレッカー体験。幸い、プラグとかは無事だったみたいだけど、600ドルくらい修理点検費が計上された。
寝ぼけた時に慣れないことをするとろくな事がなし。

5.ケーブルテレビを導入
大学内の寮のある地域には、ケーブルテレビ網が張り巡らされている。月々50ドル程度で加入可能で、日本語チャンネルも一つあった。NHKの番組がほとんど流れているのは我が家には嬉しい。サンフランシスコベースのアジア・ヒスパニック向けテレビチャンネルでも、週に計10時間ほど日本語放送をやっていたのだけど、晴れて24時間放送、台風速報とかをこの国でも見られるようになった。

6.担当教官と面談
30分ほど、キャリアおよび勉強関連の担当教官に面談頂く機会があった。マッキンゼーの幹部だった方で、今は半引退気味で、自分の属するクラスのクリティカルシンキングの授業と、NPO経営論を教えている。正直、強面コンサルタントという感じで、凄くこわーいイメージを持っていたのだが、授業そっちのけで色々と親身に相談してくれた上で、大前研一氏と横山禎徳氏では、お前はどっちかというと前者寄りだというびっくり評価を頂く。どちらかといえば後者のファンだったのだけど…

7.FBI長官の講演
一時間、現役FBI長官の講演を聴く。いつもは伸びやかなビジネススクールのキャンパスも、この日は探知犬がそこかしこにいたり、シークレットサービスみたいなのがいたりと落ち着かない雰囲気。
講演そのものは正直、あんまり新しい発見はなかったのだけど、元々S大ロースクールの教授だったこともあって、気さくに言えることと、「それは全くお答えできない、すみませんねえ」といった話が展開される。FBIは911以前はパッシブな捜査機関だったが、テロ以降はテロの事前阻止がミッションとして大きく追加されたことや、それ以前は法的に不可能だった部門間の情報共有が行えるようになったこと等、過去数年間の激変の解説が行われた。

8.モルスタ幹部の講演
GSB卒業生のリサーチヘッドの講演も実施された。まとめてしまうと、DWの某社長はひどい社長だった、ジョンマック万歳、ゴーマンはタイプは違うけどすばらしいリーダー、という話の組み立て。金融危機の間、政府から様々な提携話を持ちかけられた際に、自分たちよりも劣化しているところとなぜくっつかないといけないのか、という点について、CEO Mackは頑ななポジションを貫いていた、それがリーダーシップというもの、ということが話の中心にあった。

9.授業関連
授業自体は色々と進展していて、すごい量のケーススタディの読み込み等を行ったりしている。読み込む量が多すぎて、消化も足りておらず、コールドコールに対処できるだけの準備はできるが「時間がなくて勉強ができてない」「知識が体化できていない」という状況。再来週には中間テストがあるので、それに向けて、もう少し体系的に自分の中で整理をしたいのだけど、今後時間はあるのだろうか。。。唯一、ファイナンスの授業だけは何というか楽勝な気分で臨めているので、少し楽をしている。
来週は、まさか、と思えるような某超有名人(一応S大の教授という位置づけ)による講義が行われる予定で楽しみ。

2009/10/03

Week 2 終了

だんだんと、真新しい発見の数は低減しているものの、3週間目に起きたことをまとめておく。

1.発言Of the weekを受賞
グローバル経営論の授業において、日本の小売業が取り上げられた。クラスで唯一の日本人である自分は集中砲火的に質問を受ける。
その中で、日本ではコンビニのPOSシステムが発達していて、消費者行動が見事に記録されており、サラリーマンが「愛妻のパンスト」を買う行動が観察されている、という話が自分に振られた。
「私も(頼まれて)パンストを買ったことがあります!」
は、だいぶウケ狙いで放った言葉ではあったものの、たぶん真面目なキャラとして見られていた自分とのうまいギャップがあったらしい。一週間、このネタでいじられ続けたが、別にHentai!という話ではなく、何というかコミュニケーションの距離が縮んだことで皆が話しやすくなったのだと思う(と、信じたい)。

2.ウェルカムパーティに参加
学校から15キロほど離れた別荘地のような場所にて、仮装パーティ(正装か体操着(学校のユニとか))に夫婦参加。夜21~25時という時間帯だったので、Hit and Awayで帰ってきたのだが、こちらに来てからというもの、生活セットアップで学校行事にあまり参加できていなかった中、良い滑り出しとなった。

3.授業のテーマ「人をどうやって動かすか」「コネをどうやって作るか」
組織行動論の授業は、毎回独特な内容が展開されている。今週の2コマは、人をどうやって動かすか、という事例を、12人の怒れる男たちを実際に見ながら評論したり、「お願いごとをポストイットに書いて他の人に助けを乞う(何も助けてもらえない人も発生)」といった作業を通して、ダイレクトに人が置かれるシチュエーションによって、他人との距離を縮めたり、コネを作り上げたりするプロセスを実感。いかにもなビジネススクールの授業で、今まで経験したことのない発見があった。

4.CATセミナー
GSBでは最初の学期における必修授業として、Critical Analytical Thinking(CATと略される)という授業が課されており、宿題等のウェイトとしては結構重い位置づけとなっている。先週はグーグルの中国進出についての討議が行われたが、今週はNRSRO(米国の格付け会社制度)についての議論であった。
詳しくはググって頂きたいが、NRSRO制度は米国においても金融オタクの話題である。課題はそれをかなり単純化したものではあったが、仕事で考えたり本で読んでいたトピックがそのまま全一年生の作文の対象となっている、という事実に驚いた。また、金融機関出身者でも、結構意見が分かれる(政府のみが格付を付すべき、というHF出身者)というのも驚きであった。

5.自転車の盗難
まだ現在進行中だが、チェーンをかけて学校の自転車置き場に置いていたチャリが紛失。こちらでは、防犯用としてチェーンは不十分とされており、U-Lockと呼ばれるいかつい輪をはめるのが普通になっているのだが、このときに限って授業に遅刻しそうでそれができなかった。わずか1.5時間の間の凶行に涙。

6.Whole Foodsに心酔
マウンテンビュー近くに、Whole Foodsという、Queen's Isetanに近い位置づけのスーパーがある。ここの野菜・果物・肉等がおいしくて、たぶんSafewayは緊急避難的にしか使えなくなるような印象。

7.ご近所づきあい
今住んでいるEscondido Villageは基本的に子持ち世帯が多くて、落ち着いた環境になっている。中には、子供がやんや遊べる砂場やら玩具やらが沢山あり、共同の庭となっている(日中は結構子供が遊ぶ声でうるさい)

大きな地図で見る

週の初めに、顔合わせパーティが催され、日本人のご家族と、日本が非常に堪能な中国の留学生の方とお会いした。スタンフォードにも、探せば日本語人口が結構いるが、キャンパスがでかすぎてなかなか一箇所に溜まる、ということがない。まあ、その方が個人的には良いのだけど。



2009/10/01

チーム

2週間半を経て、スタディグループに加えて、8人で討論等を行うチームでの作業ややり取りが増えてきた。既述のスタディグループのメンバーも含まれるものの、自分の属しているチームのメンバーの初期のイメージとして、以下に記しておきたい。


  • R:投資銀行経由でヘッジファンドから来た、いかにもな米国バンカーの風体。声が大きくて、正直何を話しても交渉ごとでは負けそうな雰囲気を醸している。実際に、交渉能力も高くて、どの段階で情報を出すか、何をボトムラインに持っていくか、絶対に譲らない態度、といったあたりからは間接的にいろいろと学べるものがある。その上で、結構まめに補習のクラスに出ていたり、自分はこういう貢献が足りなかった、といった自戒もできる。
  • T:既にコンピューターサイエンスの修士号を持つ中国人女性。頭の中身は完全に米国人で、既に東海岸で医療ベンチャー2社を創業済み。議論をまとめるのが非常にうまく、経営者の頭とエンジニアの頭がフル回転する凄さを毎回見せつけられる。
  • J:金融工学から軍隊に入った異色のキャリア。奥さんもロースクールの学生で、結婚3年目にして、イラクから帰ってきてから最初の同居生活になるとのこと。周囲や英語の下手な自分への配慮、ロジカルな考え方、抜け目の無い思考が、軍隊で鍛えられた大きい声に乗せられて放たれると、すでに完成されたリーダーシップを強く感じる。
  • Z:大手コンサルからの社費派遣生。学生時代は東海岸で歴史を専攻していたとのこと。文章を書くのがうまく、グループでのレポート等は本人がキーボードにかじりつき、周囲がやんや投げるトピックを見事な文章にまとめあげていく、というスキルを持つ。また、議論にもクリティカルな点を常に投げ込むため、彼が喋るときには場が静まる、という評判を既に築いている。
  • K:大手通信会社出身の家族持ち。おそらくだが年長者で、いわゆる若い米国人とは異なる落ち着きと、影響力や、深みのある発言がチームにまとまりを与えている。一緒にいて、もっとも安心できるキャラクター。
  • H:大手コンサル出身の女性。話がうまく、ディスカッションなどは自分がファシリテーターとしてがんばったつもりでも、いつの間にか彼女が場を仕切っている。何というか場を持っていってしまう能力が高く、コミュニケーション能力とは何かを具現している。
  • A:8人のグループの中で、自分と並んで英語がやや苦手な外国人女性。大手消費財会社のペルー拠点出身で、ファッション業界を目指している、とのこと。ただ、英語が苦手、と聞いていたのだけど、自分にはぜんぜん苦手なようには感じられない。だいぶ高いレベルで悩んでいるような印象を持つ。
  • そして自分。
こうやって書いてみると、改めて良いチームメンバーに恵まれたものだと感じる。家族持ちも案外多くStudy-Lifeバランスが割と管理できそうなのも心強い。

ただ、課題は山積。議論の様子を取ったビデオ(GSBの授業では、議論をビデオ録画し、お互いにフィードバックする、という恐ろしいカリキュラムがある)を見ていると、あまりに自分が溶け込めていない様子が明らかとなっている。そのため
、そもそもフィードバックを得るための機会を逸していることが多い。早くコミュニケーション能力を上げて、議論におけるアジェンダ・セッティングまで影響力を発揮したいところ。まずは現地化・同化して、守・破・離の最初のステップを早く身につけたいと思う。

2009/09/27

体重管理

出国前に、友人、会社の同僚皆に心配された最大のトピックは、学業ではなく体重である。
これまでの遍歴で言うと、18~25歳の間は72kg前後、結婚して80キロ台に突入、出国前は82kgまで到達していた。これが、飽食の国でどうなるか、は友人の間ではすでにギャンブルの対象となっている。

なので、一応毎月末、ご報告をしようと思います。
8月末:82kg
9月末:79kg ⊿=-3kg

ちなみにこの間、香港での暴食経験が存在しているので、最大値―最小値は4kg程度になっていると推測。新生活と、学業にかかるストレスに加えて、やっぱり外食の質に由来するところが現状では大きいと分析しています。

Week 1が終了


1週目はオリエンテーション的色彩があったものの、とうとう本格的に授業が開始。

合計5科目(企業金融、戦略論、リーダーシップ形成、クリティカルシンキング、グローバル経営論)について、おおむね週に2回ずつ授業があり、ケース一つ、リーディング50ページ程度が授業ごとに課されている。ものによっては100ページを超える場合も。

とにかく時間が捻出できない中で、クラスメートは夜飲み会に繰り出したりとImpossibleを行っている。すごすぎる。

2週間終わって、まったく会話ができない「うなずきマシーン」からは多少脱したものの、やはりこちらの人の会話のレベルにはついていくのが大変。(1)言語能力の壁、(2)地頭の壁、(3)コミュニケーションの壁、の3つでいうと、(1)、(2)はしょうがないが、(3)はとても高く、努力次第といえ、たいした高さだと思う。

ただ、だんだんと慣れや、力の抜き加減も体得中。一度は「今コールドコール(先生からの指名回答)されたら終わる」状態で90分耐え抜く経験(ネームカードを読めないように級友の頭の後ろに移動。我ながらセコすぎる)をした。

また、日本から3名のお客様をもてなす。うち、1名は結婚式でスピーチをしてくれた家内の親友で、都合3泊して頂いた。新しい家でのアコモデート方法やら、家具の調達やらがいろいろと上達。加えて、他学部への出願希望者に学生を紹介する、といったロジスティクスも経験。もう先輩ヅラするのも僭越なものの、自分が昨年10月に経験した状況を思えば、できるだけ還元したいとの思いでお手伝い。日本人同士での異国での体験には、日常にはない感慨が残り楽しい。

日本からの学生の研修旅行の打ち上げ会にも参加。さまざまな、こちらで活躍されている方々にお会いし、渡辺千賀さんにこちらでの生活情報を教えて頂き、励ましいただくという栄誉にも与る。シリコンバレーに来てみようと思った契機となった本の著者に簡単に会えたりするのは、やっぱり有難いことだなと感じた。日本でのビジネススクールの集まりにも、冨山さんが気さくに話しかけてきてくれたりと、正直こんな身分でよいのだろうか、みたいな経験が多い。ありがたや。



2009/09/19

Week Zeroが終了

開始が遅いとかごねていたものの、到着し、授業が開始して一週間目が終了。
この週は、Week Zeroと称され、授業は2種類しか行われず、他はオリエンテーション等に費やされた。今年入学の学生数は385人、これらが6のセクションに分割され、約60人超のメンバーで基本的に授業が進行する。


会計学の授業
会計学は、応用・経験者向け・基礎編の3段階にレベル分けがなされている。もっとも、PE出身者が基礎コースにいたり、物理学出身のエンジニアが応用にいたりと、直観と合わない変更もなされている模様。全4回という、入門的位置づけ。
いちおう、金融機関出身ということで応用コースに配属された。会計の授業は、BS・PL・CFの見方という、非常に基礎的な事項に終始している。ただ、よく考えると証券アナリスト試験(もろくすっぽ取り組まなかった)程度の知識しかない自分にとっては、良い基礎固めになった。渡米前にかろうじて読んだ三位一体理解法の本は、その準備として大変役立っている。
また、4回目の授業においては、バランスシートと収益構造から企業名をリストから当てる問題も出された。それまで、なかなか英語でグループワークをやるのには苦労していたのだけど、金融用語であれば、外国人相手にそれなりに体力を発揮できるだけでなく、確実にコミュニケーションを行えることが確認できた。変な見方かもしれないが、ファイナンススクールに通えばこの点はもっと早く認識し、ある意味楽していたのかもしれない…苦労は買ってでもするべきなので、何というか良い経験になっているものと信じる。

チームワークの授業 (Managing Groups and Teams)
会計の授業は割と溶け込みやすかった一方、チームワークの授業は精神的にシビアなものであった。毎日、計5回の授業が行われ、毎回なんらかのゲームが行われた。初回は脚本を読んで殺人犯を当てるゲーム、2回目はレゴの形態を模写するゲーム、3回目は砂漠でのサバイバルに必要なツールを当てるゲーム、4回目は点数の異なるおはじきを取引するゲーム、5回目は予算制約のもと、16班に分かれて絵を描くゲームと、どれも小学校でやるような感じではあるものの、大人がそれを行うとヒエラルキーが生じたり、排他的にならざるを得ない状況になったり、真剣に喧嘩したり、といった状況が生じる。また、別に犯人を当てる能力や、交渉・取引の能力が大事なのではなく、その過程で生じる人間的ないざこざが焦点にあったりして、よく練られたものだと素直に感動。

ただ、1週目とは思えないほどにハードな議論が交わされていたことは、ある意味うれしくも厳しい誤算であった。また、犯人探しゲームなどは、20分で文献読んで~、と教授に指示されるものの、情報の半分程度しかカバーできない、といったハードルを早速感じた。授業でやっていること自体は楽しく、面白かったのだが、議論の輪に途中参加することは不可能に近いほど、会話と思考が高いレベルで行われていて、なかなか参加意識を持つことが難しかった。トップ校ゆえの性格ではあるかもしれないが、英語が一人前ではないことに、暗にエクスキュースが許されないような雰囲気がある。また、教授が質問を投げかければ、まず10本の手が挙がるような状態の中で、真にInsightfulなアイデアを述べることは、結構ハードルが高い。週の途中で、個性を出すことはしばらく諦め、とにかく頭を切り替えて、まずは発言することを自分の目標として再設定した。年内のうちに、この辺のコミュニケーションスキルを(飛躍的に)上げて行きたいと感じる。
それにしても、英語での思考能力が数割ダウンではあるとはいえ、周囲のレベルは非常に高い。正直、こんなに高いとは正直、想像すらしていなかった。ゲーム中、たまたま当たった交渉相手が、よく聞いたらヒューミント出身だったり、CIA出身だったりして、もう誰も信じられなくなるような(笑)スキルの高さに出会ったりする。また、軍隊出身者も多く、はっきりと物を大きな声で主張したり、目標設定とコミットメントがありえないくらいしっかりとしていたりもする。米国式のコミュニケーションと、英語能力、思考能力やパターンの違いという、3つの壁があることを認識して、どこまで同化していけるのか、まだ図りかねているような段階。


学事オリエンテーション


S大のプログラムでは、平均的な学生の社会人経験が4年程度であることもあり、独身の学生が多い。独身学生の大半は、チャールズ・シュワブの創設者が寄付したSchwab Residential Centerに居住しており、いかにもな独身寮生活を一年目の間は享受することになる。
しかし、既婚者や、同寮に入れなかった学生は、そのマジョリティの計画するパーティーやイベントへの参加率が必然的に下がる。これが2カ月ほど継続すると「FOMO(Fear of missing out)」と称される「仲間はずれじゃないか症候群」状態に陥るらしく、学事センターから「FOMOは一過性の病気、いずれみんなSchwab生活に飽きてきますよ」というアナウンスがあったくらい。
また、「我々は入学にあたって皆さんを個性で選んでいます。なので他人に合わせるようなことは考えないでください、Be yourself please.」と念を押したりもしている。ほかにも、「皆さんは大学で、それこそ周囲で競争相手がいないくらいに優秀だったのでしょう。でもここでは、その中でさらに競争が行われたりします。当校での評価でPass(優良可の可)を得ても、それは半端ではないレベルの可であると思って、自信を持ってください」といったコメントが行われたりしている。
週の終わりには、「皆さんの中には英語が母国語ではない人達もいます、ゆっくり話していてもちゃんと聞くように」といった、通達もあった。これには保護されて助かるような、甘んじるのを許可されるのがいやな様な、複雑な印象を持った。

加えて、Honor Codeと呼ばれる学生同士の協力に関する一定の制約についても、アナウンスが度重なり行われた。米国の大学では学生同士が協力することを、原則禁止している。その上で、教授の許可により、それを可能としているケースが多い。日本ではまず良く分からない概念ではあるものの、学生同士のフェアネスを確保することがその根底にあるとのこと。ゆっくりと順応していきたいところである。


スタディグループ
授業によりけりではあるものの、64人のセクションは4分割され、批判的分析をテーマとする16人の少数クラスが設定されている。さらに、それがリーダーシップを学ぶために2分割され8人のグループに、加えて細かいスタディグループとしてそれがさらに半分になり、最小単位では4人のグループとして、今後しばらくは学習を行うことになる。自分のグループは、人のよさそうな軍隊出身者(ただし声はデカい)、北京出身のITエンジニア(S大工学院卒)、ベイン出身の米国人、という布陣。正直、まともな英語が話せないのが自分だけで、そこそこ配慮をしてもらっているような気はするものの、やはりちゃんと議論に貢献していかないと、というプレッシャーはある。HBSに比べればフレンドリーな環境であるだけに、それには甘えずにやっていかないと。


授業の課題で作成した絵。中央の女性の顔を担当。ほとんど議論には参加しない寡黙な日本人技術系人材をアピール…
ちなみに、授業の構成としては、3人の顧客(生徒)が一定のスペックと予算をクラスに指示、クラス内で指名されたマネージャーが絵の具や画材等の値段を気にしながら、時間内に水彩画を作り上げるというもの。画の小さな原画は16分割されており、各テーブルで作ったものを張り合わせなければならない、というもの。計80分のみの作業時間の中にしては、かなりうまくできたほうだった模様。皆感動して写メールやら記念写真を撮っていた。

2009/07/16

米国MBA留学:学生ビザの取得手続き


本日F-1ビザを無事取得。準備は手間がかかったが、当日は楽であった。
取得プロセスについては、米国大使館のサイトは結構親切設計になっているが、やはり不安が多いので、後進のためにも一応メモ。正式な流れは;
http://tokyo.usembassy.gov/j/visa/tvisaj-nivgeneral.html
http://tokyo.usembassy.gov/j/visa/tvisaj-niv-walkin1.html
で把握されたい。以下は、夫婦子どもなしのケース。

必要な書類
・学校から送付されるI-20が2通(本人分、家内分)
・パスポート2通
・DS-156二人分
・DS-157(男性のみ)
・DS-158二人分
・写真2枚
・ビザ申請料金2枚のATMレシート (1.2万円×2)
・SEVIS Feeのカード支払い時の印刷画面OR番号(200ドル×1人分)
・EXPACK500 一つ(同居していれば一つでよいとのこと)
・逮捕歴がある場合等の内容・記録(あまり当てはまるケースはない?)
・面接予約確認書(二人分)
・財政証明 (社費留学の場合は会社の保証レター、私費留学の場合は残高証明?)
・大学の英文成績証明書(多分一人分だが、二人分取得して持参)

補佐的に必要かと思って持って行く資料
・学校からの合格通知
・TOEFLの点数結果とか持っていく人もいる模様

注意が必要な事前準備
・成績証明書は出願時に多め(出願校数+3通くらい)取得しておくと吉。これに関しては大失敗して、都合4回も家内や自分が取りにいく羽目になった
・銀行の残高証明は口座のある支店で手続きする場合でも要一日。そうでない場合は2日見たほうが吉
・SEVIS Feeはクレジットカードで、ビザ申請代金はATMで支払える。前者については、領収書が送付されるとのことだが、実際にはその場で表示される画面を印刷して持参すればOK、わざわざExpressメールにしてボラれる必要はない。後者はペイジー対応しているATMを探しておく必要有
・DS-157では友人の名前を二人書く必要があり、住所とかが手元にないとちょっと面倒

面接の予約
・I-20が学校から届くことを見越して、予約してしまうのも一つの手段(DS-156二人分の記入が予約前に必要)
・面接終了後、すぐにビザが届くケースもあるが、一応一週間超はフライトまでは見たほうが良い模様。やり直しの可能性も含め、早めに越したことは無い

面接当日
大使館に入館するまでに非常に混雑するため、できるだけ前後の仕事は入れないほうがいい。自分の場合は80分待ち。真夏日は日傘推奨。予約時間の(だいぶ)前から並んでいても問題ない模様
・並んでいる間に、資料のチェックが入る。サインする箇所を幾つか忘れており、その場で訂正。ほか、現地住所を未定としていたが、大まかな住所でも可能だった模様
・一応、セキュリティチェックがあり、電子機器、USBメモリ等は預けることになる(USBメモリをカバンの中に入れていたら、いかにも米国セキュリティな「ブオン ブオン」という警告音が鳴って、自分がならず者状態化した環境にちょっと萌えた)
・一旦中に入ると、指紋採取と面接が行われる。資料チェックが並んでいる間に同時平行で行われていたらしく、短期間で呼ばれる。日本語を喋る外人職員ばかりで、何だかインターナショナルスクールの夏休みバイトも混じっていたのではないか
・面接官は日本語で話しかけてきたので、何だか悔しくて英語で返す。質問項目は異常なまでにシンプル。「学校名・コース名」「滞在期間」「社費留学か」「どこの会社?」「奥さんはなにするん?」

30秒も立たないうちに、「ハイ、アプルーブデスヨ、イッテラッシャイ」と言われた

全体的感想
・早めに揃えるべき資料のリストだけは作ること
・旅行代理店の活用は、本当に時間が無いケースを除けば結構無駄なのでは?(どうせ当方で記入する必要があるものばかりだし)

ちなみに、見聞した許可が出ないケースは以下の通り
・パスポートやDS-156を忘れる等の資料忘れ
・本人が二重国籍であるのに、普通の申請をしている場合

2009/04/09

MBA受験を振り返って

受験の結果がでたことで、「どうやったら受かるの」という質問をぼちぼちと受けるようになった。けれども、目の肥えたトップスクールの審査官相手に、厳密なハウツーというのは通用しないような気がする。

以下は、いわゆるトップ15~20校を目指す場合の出願者に向けた、緩い指南になる。世の中には、すぐれたMBA受験記が多いので、ハウツー・ネタを求めるなら、そちらの方がはるかに参考になると思われる。なお、ハウツーは通用しないと書いたものの、受験中は精神安定剤として、さまざまな話を「ありがたや」、とおおいに信じていたことを付言しておく。一つのケーススタディとしてお役に立てれば望外の喜びである。


1.受験、という枠組みで捉えられる試験

MBAプログラムへの出願を、堂々と受験といえる側面は、テスト勉強の部分である。各種予備校の受験情報を隈なく漁られたい。ハウツー・メソッドが溢れている分野でもある。
最終的には、TOEFL(iBT)で105点、GMATでは680点前後があれば「まず文句は言われない」という印象だろうか。もちろん、H/S受験者には、平気でGMAT770点の人とかザラに受けていて、しかも平気で面接に呼ばれない、という例もあるので、上側での差別化というのは意識しない方が得策かと感じた。なお、780-800点満点の人は、社会的にちょっと、という指摘すらあるのが面白い。

Testing time starts early, FT September 7 2008 より
A senior figure within a leading European business school says he has come across plenty of good candidates whose scores “began with a four”. Conversely, he says he tends to be cautious of people who score 780-800. “I look very, very closely at them,” he says, declaring that their social skills can often be deficient.

トップ校になればなるほど、際立っていると感じるのは、これは一定のスクリーニング・足きりをするための判断材料なのだ、という点。上述の点数以上を取れば、まずはしっかりと選考をして、エッセイを読んで、自分の背景を想像してもらえる、という「打席に立つ権利」であると理解したほうがよいのかもしれない。

個人的な戦績について触れると、日常的に英語に触れていることが奏功して、TOEFLはほぼ対策なしで110点を取ることができた。GMATについては700点という目標設定をしていたが、こちらは難航。文法が最後までちゃんと理解できず、勘のみで解いていると、VerbalのSCがいつまで経っても5割の壁を越えられないことに気付く。結局、こちらは4回受験して、ほぼ、まぐれあたりで2回出た32点が最終結果となった。これとQ満点を併せて、700点が達成された。

やはり、テスト勉強は苦手というか、真剣に取り組めない属性が自分でもこの時点で良く理解できた。現地でのプログラムに耐えられないのではないか、と思うほどに。そして、GMATが敢えてハードルと設定されていることは、出願者に一定のコミットメントを求めるためだという理解をした。こういうところで、「本当にMBAを受験して、2年間頑張りたいのか」を自分と会話するのもちょっと大事だと思う。


2.ほとんどはプレゼンテーション

受験、という言葉のイメージに比べると、MBAへの出願はプレゼンテーション能力に頼る部分が圧倒的に大きい。TOEFL、GMATは、プレゼンをしやすくするためのチケットに過ぎない。ただ、同時に思うのは、GMAT500点台であっても、本当にパワフルなエッセイと、それを裏付けてくれる推薦者、背景情報があれば、そんなの関係ない、という点である。

だいたいの人は、MBA受験を計画的・効率的には進められない。そもそもトップスクールを狙いに行く人には仕事ができる人が多いから、ストレスフリーに準備ができる人はほとんどいないはず。100%満足の準備というのが存在しない以上、個人的に大事になってくるのは、出願を終えた後での納得感ではないか、と思っていた。エッセイは自らとの対話である中で、この納得感を大事にすることが自分の中では大事だった。

この過程では、カウンセラーだったAdam Markus氏(※)のアドバイスが非常に役に立った。彼の助言を得ながら、エッセイに強く意識して入れていったポイントが3つある。それは;
(1)絶対自分しか書かないようなストーリー
(2)家族とのエピソード
(3)学校に対する愛情表現
である。
例えば、スタンフォード向けには、「10月のビジット時、家内と地下のカフェテリアで遅めの昼食を取った。横では学生が喧々諤々の議論をしているのを見て、『sutebuuも、金融業界について同じ位、クリエイティブな発想ができるようになりたいんじゃないの』と家内に指摘された」というストーリーを締めの部分では用いた。実は、他校に対しても同様のことをしていたのだが、「何だかとてもプライベートなことを聞いている、しかも結構独特」というのが、個人的にはエッセイを読んで、覚えてもらうためのポイントだと思う。

トップスクールには、ハーバード首席→投資銀行→ヘッジファンドのパートナー、なり、東欧で憂国の士ながらSNSを創業・売却、みたいな人が平気で願書を出している。そのような中、個人的には仕事面での功績・生活も、個性の一部として表現することが、多くの人にとっての最適解ではないかと思う。



上記について、1.と2.の重要性は、20%と80%、というのが、一連の出願結果を終えての感想。ただし、「時間を取って机でごりごり作業する」割合は、多くの人にとって60%:40%になるのではないか。結果に関わらず、この部分にはぜひ拘るべきであり、エッセイを書きながら、自分の知らない側面が紙に描かれるプロセスこそ、本当は大事なのではないかと感じる。これは、虚心坦懐に自分と向き合う作業にハウツーはないのと同様、これがないと、やっぱり読んで貰うエッセイも味気ないものになるのでは、と思っている。

以上の作業が下地としてあれば、インタビュー対策等、大変なプロセスはあるものの、「良い惰性」で作業が進むのではないか。個人的にはそうだった。第2ラウンド(もしくは年明け締め切りグループ)出願者であれば、年末は紅白を見ながら、この1年に悔い無し、と思えることが大事なのではないか。

受験の結果として残ったものを考えると、「人様に言えるようなアドバイス」というのは少ないことに気付く。ただ、自分にとってはアセットになるような、そんな気付きの多いプロセスでもあった。あとは、それらが留学中、どんな形でMaterializeしていくのかが、現状では楽しみな段階である。こればかりは、やってみないと、そしてたどり着いてみないと、分からない気分なのかもしれない。


※なお、Markus氏への賛助コメントを
http://adammarkus.com/results.html#FALL_2009_Client_Results_and_Testimonials
に掲載しています。