2013/04/28

英語どうする系の話


古賀さんときよとさんの記事がバズっていて、なんだかんだで一家言あるのでTwitterでつぶやいてみたものの、改めて整理したくて書いてみようと思いました。


自分の生い立ちを考えると
・小学1-6年の間、ほとんど日本人のいないロンドン郊外の現地校にて過ごす
・その後、帰国子女向けコースのある中高で英語は別の授業を受ける
・社会人になってから、文献調査は英語の方が俄然多く、日経よりはFTを読んでいる時間の方が長かった。たまに仕事で投資家やインタビュー相手に喋る、偉い人の通訳する、みたいな仕事をやっていました。一言でいうと、コンサルファームのようにグローバル・スタンダードではないけど、かなり英語が多い環境にいた、という状態
・即興でも、十数人の集中力のあるオーディエンスと本人のやる気があれば、感動させたり、笑わせられるスピーチができる気もしている。これは経験上ではありますが

(もう使う機会もないですが、留学前に受けたTOEICは980点、TOEFLは110点)



で、自分の認識だと、本音としてまったく英語が「できる」気がしないのです。だから、英語で確実に伝えたい時には、ゆっくりしゃべるし、相手の表情筋をビビッドに観察しながら、乖離をはやめに摘み取る。だから、外国人に何かを伝えられる気はめっちゃするんですが、英語ができるから、では決してない、という感慨。コミュニケーション・コンピタンスなんて言葉が企業名になる時代ですが、あれ、ガチで自分にとっては大事な武器だと思ってます。


これってどういうことなんだろうと前から思っていたわけです。だから、古賀さんみたいな方に丁寧にまとめていただくと、とても頭が整理されたのです(古賀さん、今の当社のビジネスモデルでも、昔バシっと今でも支えになってるアドバイスをくれた方で、心底尊敬しています)。



それで、ちょっと考えたのですが、結局日本語も同じようなものだな、自分、という気がしてきました。

日本語は、コンテキストが強すぎる言語。日常的に会話する相手だと、色々となあなあで済ませてしまえる。マネーフォワードは、エンジニアリング第一の会社なので、正確な会話が命なわけですが、考えや懸念、分析をシャープにそのまま伝えるのは、自分にとってはなんだかんだでチャレンジだった(実力的に、英語以上に難しいと思えるくらい)のだ、日本語難しすぎ、と日々感じたりするわけです。


そうすると、自分の言語能力、どうしたものか、と思いつつも、英語と日本語で共通して言えるのは、相手との間合いを見て、ダンスするにしても剣道するにしても、何をしたいかなんだよな、という事なんだと思いました。僕の場合、人と話すのは好きなんですが、特定のテーマとかにやっぱり相当フォーカスしがち。知らないし興味が出ないことに遭遇した時のコミュ力の低さが、半端無いわけです。


だから、もし言語がハードルになってる、という問いがあるんだとしたら、結局話す相手と何をしたいのかが前提で、考えればいいんじゃないかな、という、ありきたりな結論に。だとすると、帰納法では、英語が取り沙汰されて記事が読まれる国は、みんなやりたいことがわかってないだけでは、という感じになるのでしょうか。


とはいえ、自分というケーススタディを挙げると、やりたいことが、思い切り具体化されたのもMBA生活でした。自分を大切にする時間があったから、というのが主因ですが、結論だけつなげれば、英語できなくて躊躇してる人も留学ありだよ、というロジックも成り立つのかな、と思ったりしました。