2009/04/09

MBA受験を振り返って

受験の結果がでたことで、「どうやったら受かるの」という質問をぼちぼちと受けるようになった。けれども、目の肥えたトップスクールの審査官相手に、厳密なハウツーというのは通用しないような気がする。

以下は、いわゆるトップ15~20校を目指す場合の出願者に向けた、緩い指南になる。世の中には、すぐれたMBA受験記が多いので、ハウツー・ネタを求めるなら、そちらの方がはるかに参考になると思われる。なお、ハウツーは通用しないと書いたものの、受験中は精神安定剤として、さまざまな話を「ありがたや」、とおおいに信じていたことを付言しておく。一つのケーススタディとしてお役に立てれば望外の喜びである。


1.受験、という枠組みで捉えられる試験

MBAプログラムへの出願を、堂々と受験といえる側面は、テスト勉強の部分である。各種予備校の受験情報を隈なく漁られたい。ハウツー・メソッドが溢れている分野でもある。
最終的には、TOEFL(iBT)で105点、GMATでは680点前後があれば「まず文句は言われない」という印象だろうか。もちろん、H/S受験者には、平気でGMAT770点の人とかザラに受けていて、しかも平気で面接に呼ばれない、という例もあるので、上側での差別化というのは意識しない方が得策かと感じた。なお、780-800点満点の人は、社会的にちょっと、という指摘すらあるのが面白い。

Testing time starts early, FT September 7 2008 より
A senior figure within a leading European business school says he has come across plenty of good candidates whose scores “began with a four”. Conversely, he says he tends to be cautious of people who score 780-800. “I look very, very closely at them,” he says, declaring that their social skills can often be deficient.

トップ校になればなるほど、際立っていると感じるのは、これは一定のスクリーニング・足きりをするための判断材料なのだ、という点。上述の点数以上を取れば、まずはしっかりと選考をして、エッセイを読んで、自分の背景を想像してもらえる、という「打席に立つ権利」であると理解したほうがよいのかもしれない。

個人的な戦績について触れると、日常的に英語に触れていることが奏功して、TOEFLはほぼ対策なしで110点を取ることができた。GMATについては700点という目標設定をしていたが、こちらは難航。文法が最後までちゃんと理解できず、勘のみで解いていると、VerbalのSCがいつまで経っても5割の壁を越えられないことに気付く。結局、こちらは4回受験して、ほぼ、まぐれあたりで2回出た32点が最終結果となった。これとQ満点を併せて、700点が達成された。

やはり、テスト勉強は苦手というか、真剣に取り組めない属性が自分でもこの時点で良く理解できた。現地でのプログラムに耐えられないのではないか、と思うほどに。そして、GMATが敢えてハードルと設定されていることは、出願者に一定のコミットメントを求めるためだという理解をした。こういうところで、「本当にMBAを受験して、2年間頑張りたいのか」を自分と会話するのもちょっと大事だと思う。


2.ほとんどはプレゼンテーション

受験、という言葉のイメージに比べると、MBAへの出願はプレゼンテーション能力に頼る部分が圧倒的に大きい。TOEFL、GMATは、プレゼンをしやすくするためのチケットに過ぎない。ただ、同時に思うのは、GMAT500点台であっても、本当にパワフルなエッセイと、それを裏付けてくれる推薦者、背景情報があれば、そんなの関係ない、という点である。

だいたいの人は、MBA受験を計画的・効率的には進められない。そもそもトップスクールを狙いに行く人には仕事ができる人が多いから、ストレスフリーに準備ができる人はほとんどいないはず。100%満足の準備というのが存在しない以上、個人的に大事になってくるのは、出願を終えた後での納得感ではないか、と思っていた。エッセイは自らとの対話である中で、この納得感を大事にすることが自分の中では大事だった。

この過程では、カウンセラーだったAdam Markus氏(※)のアドバイスが非常に役に立った。彼の助言を得ながら、エッセイに強く意識して入れていったポイントが3つある。それは;
(1)絶対自分しか書かないようなストーリー
(2)家族とのエピソード
(3)学校に対する愛情表現
である。
例えば、スタンフォード向けには、「10月のビジット時、家内と地下のカフェテリアで遅めの昼食を取った。横では学生が喧々諤々の議論をしているのを見て、『sutebuuも、金融業界について同じ位、クリエイティブな発想ができるようになりたいんじゃないの』と家内に指摘された」というストーリーを締めの部分では用いた。実は、他校に対しても同様のことをしていたのだが、「何だかとてもプライベートなことを聞いている、しかも結構独特」というのが、個人的にはエッセイを読んで、覚えてもらうためのポイントだと思う。

トップスクールには、ハーバード首席→投資銀行→ヘッジファンドのパートナー、なり、東欧で憂国の士ながらSNSを創業・売却、みたいな人が平気で願書を出している。そのような中、個人的には仕事面での功績・生活も、個性の一部として表現することが、多くの人にとっての最適解ではないかと思う。



上記について、1.と2.の重要性は、20%と80%、というのが、一連の出願結果を終えての感想。ただし、「時間を取って机でごりごり作業する」割合は、多くの人にとって60%:40%になるのではないか。結果に関わらず、この部分にはぜひ拘るべきであり、エッセイを書きながら、自分の知らない側面が紙に描かれるプロセスこそ、本当は大事なのではないかと感じる。これは、虚心坦懐に自分と向き合う作業にハウツーはないのと同様、これがないと、やっぱり読んで貰うエッセイも味気ないものになるのでは、と思っている。

以上の作業が下地としてあれば、インタビュー対策等、大変なプロセスはあるものの、「良い惰性」で作業が進むのではないか。個人的にはそうだった。第2ラウンド(もしくは年明け締め切りグループ)出願者であれば、年末は紅白を見ながら、この1年に悔い無し、と思えることが大事なのではないか。

受験の結果として残ったものを考えると、「人様に言えるようなアドバイス」というのは少ないことに気付く。ただ、自分にとってはアセットになるような、そんな気付きの多いプロセスでもあった。あとは、それらが留学中、どんな形でMaterializeしていくのかが、現状では楽しみな段階である。こればかりは、やってみないと、そしてたどり着いてみないと、分からない気分なのかもしれない。


※なお、Markus氏への賛助コメントを
http://adammarkus.com/results.html#FALL_2009_Client_Results_and_Testimonials
に掲載しています。