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2011/01/14

新キャンパスお目見え

新キャンパスの利用が先週から部分的に開始。私の場合、GSBの授業4コマのうち、1つのみがここなので、あんまり生活は変わりません。むしろ、駐車場が適切な距離にないので、苦労しているような感じ(*1)。


当初はもっと早くできるよ、といわれ、金融危機で遅延されて、下手したらお目見えできないんじゃないか、とまでいわれていたのですが、無事、ここで授業を受けることが出来た。


まだ、部分的に完成しているだけなので、まだ教室と小さなスナックコーナーの利用に限られているところです。正直なところ何が違うのか、といわれると、さほどはない(一部のミーティングルームを除く)わけですが、まあ、うれしいかな、という程度。椅子はロースクール(部屋によっては全てアーロンチェア)に比べれば普通だし、別に教壇と椅子、ホワイトボードという関係はあまり変わらないわけであります。

なお、たまに、受験中の方から、新キャンパスになることについてエッセイで触れるべきか、と聞かれるのですが、個人的には「断じて意味はない、むしろ文字数分ムダ」というのが正しい答えかと思われます。GSBについてではなく、自分を持ち上げることに全要素を費やしてくださいませ。


ちなみに、紹介のビデオは以下の通り。


*1 駐車場の確保は結構難題。旧GSB校舎の裏側にはそれなりにスペースがあるのだが、少し離れた場所で授業があると、移動時間をちゃんと見ないと大変な目に遭う。年間800ドル弱駐車場代取る割に、あんまり便利なところのスペースがないんです。

2010/01/13

本質を考えるということ(MBAとリベラル・アーツ)

GSBには、Student-blastと呼ばれる、参加者の誰もが送付可能な、(ほぼ)全員配信のメーリングリストがある。毎日数十通送られてくるその中身は、明日午前車を貸してくれだの、誰かシスコに知り合いはいないかだの、どうやってスピード違反チケットを減免するかだの、と様々。そして、たまには結構役に立つ記事が送られてきたりする。

先日、送られてきたNY Timesの記事は、今のカリキュラムの空気感を代表するものだと感じた。
Multicultural Critical Theory. At B-School?
http://www.nytimes.com/2010/01/10/business/10mba.html

文中に以下の表現がある。
Learning how to think critically — how to imaginatively frame questions and consider multiple perspectives — has historically been associated with a liberal arts education, not a business school curriculum, so this change represents something of a tectonic shift for business school leaders.

(意訳)クリティカルに思考すること―問題の枠組みを想像し、複数の立場から検討すること―は、従来はリベラル・アーツ教育の担当する範囲であり、ビジネス教育の範疇の外にあるもの、とされてきた。(クリティカル思考への注力は、)ビジネス・スクールの地殻変動を代表する動きといえる。

本質をちゃんと考えよう、なんてことは、何というか当たり前過ぎて、言っている方が恥ずかしくなってしまうようなもの。ただ、それだけに、おざなりな扱いを受けることも多いし、青臭いといわれてしまったり、○○の世界では通用しない、と言われたり。
もちろん、本質をしっかり知ってるだけでは、何もできない。本質を知った上で、そのシステムの中でどんな妥協が行われているのか、どこにパワーバランスがあるのか、何がトレンドなのか、地道にプロとしての理解する研鑽があってこそ、やっと何か食い扶持になるものが生まれてくる。そして、それも破壊的な環境変化・イノベーションで一気に置き去りされてしまったりする。
金融危機の戦犯輩出制度とすら形容されるMBAがこういった要素を取り上げる理由には、結構スタンドプレーもあると感じる。元々、結構クリティカルシンキングが重要という発想法がいくつかの学校で目立っていた中で、「偽物のビジネスを見抜く目を養う」というのはある意味経済危機に便乗した商法ともいえるのかもしれない。でも、unprecedentedという号砲の下に何でもありの発想が跋扈する中、これを本気でやってくれるのは大変ありがたいことと感じている。

と、言い切ってしまったが、シビアな秋学期を経て、実はさほどクリティカルな思考のレベルが上がったとは、思えていない。一朝一夕のものではないことは、コースの中でも繰り返し強調されていたし、まさにその通り。その上で、しっかり分かったこととしては、これも青臭いのだけど;

1)重要な問題に、そう簡単な解はない
2)変化を起こせる人は、ちゃんと勉強し、悩んでいる

という2点。よって、何だか勉強する気がより強まったというか、同じ問題や、授業や、ビジネスリーダーの平凡な意見の中に、より学べるポイントがあるのではないか、と読み取る耐久力が付いたような気がしている。同時に、その延長線上で、継続することの重要性と、やっぱりちゃんと教科書を読んでいないとダメだ、という危機感を持った。教科書を読むって、学部時代には重視してたけど、どうしても仕事だと後手後手に回りがちだった。個人的に、この基礎をちゃんと思い出せたことは大きい気がしている。きっと、他の学生にとっても、その人なりの「本質の考え方」があって、秋学期を通じて、それを復習したことが学びになってるのだろう。


ちなみに引用文中にあった、ビジネススクールでのリベラル・アーツ的教育への歩みは、どれだけ進んでいくのだろうか。文中にもあるようにChicagoとTorontoといった間で、必修科目としての扱いに二極化が起きるのかもしれない。Stanfordも後者のグループに属していくのだろう。ただ、リベラル・アーツ的な教育は、学部時代に徹底してやるべきものだ、という見方もあると思う。自らの思想のベースは、MBAのレベルになって確立するのは正直遅いのだろうし、MBAでのそういった教育の役割は、「復習」に徹するべきなのかもしれない。復習を早めにしっかりやる、という位置づけの中では、GSBの秋学期のカリキュラムというのは、当事者からは忙しすぎる/色々ありすぎると不満も多いけど、割と整合的にできているのかもしれない、と感じた。

一言余計に、日本への示唆を考えると、教養、という言葉で括られる学部は、より専門的な学部に比べてどうしても軽視されている気もするし、違う名前であっても、社会科学の中で正しい統計の扱い方がなされていなかったり、何だか空理空論の泥仕合のようなことも多かったりするし。
米国でリベラル・アーツが、開拓者時代のリーダーの自律や、「自由」というテーマをどうやって取り扱うのか、といった問題意識を持っていたことに比べると、どうしても日本ではその必要性自体が認識しにくいのだろう。ただ、今の米国のような「迷えるとき」、に指針になる、という芯の強さは、何事にも代えがたいものだと感じる。
このことは強く羨むべきだ。とあるスタンフォードPh.Dの方の本選びのセンスには、基本を理解する気が無いという、底なし沼の様な絶望感を感じた(参照)。日本育ちの人が海外で教育を受けるときには、カリキュラムの中でのリベラル・アーツの扱いをじわじわと学習することができることも、メリットになるのかもしれない。

2009/04/09

MBA受験を振り返って

受験の結果がでたことで、「どうやったら受かるの」という質問をぼちぼちと受けるようになった。けれども、目の肥えたトップスクールの審査官相手に、厳密なハウツーというのは通用しないような気がする。

以下は、いわゆるトップ15~20校を目指す場合の出願者に向けた、緩い指南になる。世の中には、すぐれたMBA受験記が多いので、ハウツー・ネタを求めるなら、そちらの方がはるかに参考になると思われる。なお、ハウツーは通用しないと書いたものの、受験中は精神安定剤として、さまざまな話を「ありがたや」、とおおいに信じていたことを付言しておく。一つのケーススタディとしてお役に立てれば望外の喜びである。


1.受験、という枠組みで捉えられる試験

MBAプログラムへの出願を、堂々と受験といえる側面は、テスト勉強の部分である。各種予備校の受験情報を隈なく漁られたい。ハウツー・メソッドが溢れている分野でもある。
最終的には、TOEFL(iBT)で105点、GMATでは680点前後があれば「まず文句は言われない」という印象だろうか。もちろん、H/S受験者には、平気でGMAT770点の人とかザラに受けていて、しかも平気で面接に呼ばれない、という例もあるので、上側での差別化というのは意識しない方が得策かと感じた。なお、780-800点満点の人は、社会的にちょっと、という指摘すらあるのが面白い。

Testing time starts early, FT September 7 2008 より
A senior figure within a leading European business school says he has come across plenty of good candidates whose scores “began with a four”. Conversely, he says he tends to be cautious of people who score 780-800. “I look very, very closely at them,” he says, declaring that their social skills can often be deficient.

トップ校になればなるほど、際立っていると感じるのは、これは一定のスクリーニング・足きりをするための判断材料なのだ、という点。上述の点数以上を取れば、まずはしっかりと選考をして、エッセイを読んで、自分の背景を想像してもらえる、という「打席に立つ権利」であると理解したほうがよいのかもしれない。

個人的な戦績について触れると、日常的に英語に触れていることが奏功して、TOEFLはほぼ対策なしで110点を取ることができた。GMATについては700点という目標設定をしていたが、こちらは難航。文法が最後までちゃんと理解できず、勘のみで解いていると、VerbalのSCがいつまで経っても5割の壁を越えられないことに気付く。結局、こちらは4回受験して、ほぼ、まぐれあたりで2回出た32点が最終結果となった。これとQ満点を併せて、700点が達成された。

やはり、テスト勉強は苦手というか、真剣に取り組めない属性が自分でもこの時点で良く理解できた。現地でのプログラムに耐えられないのではないか、と思うほどに。そして、GMATが敢えてハードルと設定されていることは、出願者に一定のコミットメントを求めるためだという理解をした。こういうところで、「本当にMBAを受験して、2年間頑張りたいのか」を自分と会話するのもちょっと大事だと思う。


2.ほとんどはプレゼンテーション

受験、という言葉のイメージに比べると、MBAへの出願はプレゼンテーション能力に頼る部分が圧倒的に大きい。TOEFL、GMATは、プレゼンをしやすくするためのチケットに過ぎない。ただ、同時に思うのは、GMAT500点台であっても、本当にパワフルなエッセイと、それを裏付けてくれる推薦者、背景情報があれば、そんなの関係ない、という点である。

だいたいの人は、MBA受験を計画的・効率的には進められない。そもそもトップスクールを狙いに行く人には仕事ができる人が多いから、ストレスフリーに準備ができる人はほとんどいないはず。100%満足の準備というのが存在しない以上、個人的に大事になってくるのは、出願を終えた後での納得感ではないか、と思っていた。エッセイは自らとの対話である中で、この納得感を大事にすることが自分の中では大事だった。

この過程では、カウンセラーだったAdam Markus氏(※)のアドバイスが非常に役に立った。彼の助言を得ながら、エッセイに強く意識して入れていったポイントが3つある。それは;
(1)絶対自分しか書かないようなストーリー
(2)家族とのエピソード
(3)学校に対する愛情表現
である。
例えば、スタンフォード向けには、「10月のビジット時、家内と地下のカフェテリアで遅めの昼食を取った。横では学生が喧々諤々の議論をしているのを見て、『sutebuuも、金融業界について同じ位、クリエイティブな発想ができるようになりたいんじゃないの』と家内に指摘された」というストーリーを締めの部分では用いた。実は、他校に対しても同様のことをしていたのだが、「何だかとてもプライベートなことを聞いている、しかも結構独特」というのが、個人的にはエッセイを読んで、覚えてもらうためのポイントだと思う。

トップスクールには、ハーバード首席→投資銀行→ヘッジファンドのパートナー、なり、東欧で憂国の士ながらSNSを創業・売却、みたいな人が平気で願書を出している。そのような中、個人的には仕事面での功績・生活も、個性の一部として表現することが、多くの人にとっての最適解ではないかと思う。



上記について、1.と2.の重要性は、20%と80%、というのが、一連の出願結果を終えての感想。ただし、「時間を取って机でごりごり作業する」割合は、多くの人にとって60%:40%になるのではないか。結果に関わらず、この部分にはぜひ拘るべきであり、エッセイを書きながら、自分の知らない側面が紙に描かれるプロセスこそ、本当は大事なのではないかと感じる。これは、虚心坦懐に自分と向き合う作業にハウツーはないのと同様、これがないと、やっぱり読んで貰うエッセイも味気ないものになるのでは、と思っている。

以上の作業が下地としてあれば、インタビュー対策等、大変なプロセスはあるものの、「良い惰性」で作業が進むのではないか。個人的にはそうだった。第2ラウンド(もしくは年明け締め切りグループ)出願者であれば、年末は紅白を見ながら、この1年に悔い無し、と思えることが大事なのではないか。

受験の結果として残ったものを考えると、「人様に言えるようなアドバイス」というのは少ないことに気付く。ただ、自分にとってはアセットになるような、そんな気付きの多いプロセスでもあった。あとは、それらが留学中、どんな形でMaterializeしていくのかが、現状では楽しみな段階である。こればかりは、やってみないと、そしてたどり着いてみないと、分からない気分なのかもしれない。


※なお、Markus氏への賛助コメントを
http://adammarkus.com/results.html#FALL_2009_Client_Results_and_Testimonials
に掲載しています。