2010/10/23

授業:政治的コミュニケーション

教授のラストコメントより。

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この一週間、二人の人物によるすばらしいスピーチを聞いた。

一人は、ホワイトハウスに勤務しているオープン・ゲイの政府高官。先日ニューヨークでLGBTの学部生のためのセレモニーがあり、そこで彼がスピーチを行う場に参列した。参加者は20歳前後のパーティ大好きな大学生。当然、彼らは聴く耳など持たないし、いわば早く終われモードに満ちていた。しかし、高官は登壇すると、静かにこう始めた。
「先週、ラトガース大学で命を絶った学生のために、黙祷をさせてください」(参照)
一分間の黙祷のあと、高官は、これまでの授業の中で述べてきた多くのテクニックを用い、学生は20分間もの間、ほとんど音を立てることはなかった。僕はといえば、凄いものを目にしていると思い、そこらへんのナプキンにスピーチの中身をずっと書きとめていた。

もう一人は、先日スタンフォードに講演をしに来た、ダライ・ラマ氏。
彼は、この授業で説明した一切のテクニックを用いることなく、登壇しただけで数千人の観衆を一気に静かにさせ、不思議な集中とパワーの溢れるスピーチを行った。あれだけの人物であれば、特にテクニックを使わなくても、雰囲気だけで、話を聞いてもらえるものなんだ。

今までの授業を見てきてもう分かっているのだろうけど、結局、政治的コミュニケーションのトピックとして出てくる殆どのことは、リーダーシップの形成と同じなんだ。票を集めることと、注目を集めることはとても似ている。そして、その中心で何をやろうとしているのか、その人の本音の強さこそが、物事を変えることができる。コミュニケーション技術は、それを的確かつ、最もインパクトの強い形に変換する方法論にすぎない。政治的なんて名前を本当は授業に付けたくはなかったのだけど、この授業がそういう意図を持って作られていることは、皆さんには分かってもらえたかな、と思っています。

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短期集中型の選択科目Political Communicationで用いる教材は、過去の大統領選及び目下進行中の上院選の演説である。これらをベースにしながら、スピーチやディベートにおける成功・失敗要因を探る内容となっている。教授は、Bush Sr.政権時でホワイトハウスでスピーチを書いていたデマレスト氏と、GSBのコミュニケーション・プログラムを司っているシュラム氏。GSBとロースクールからの学生が、2:1という構成となっている。

それにしても驚いたのが、学生の知識量と発言意欲の強いこと強いこと。提出した課題も、過去の選挙の公開討論をベースに、それぞれの候補者のスキルと文脈から、どちらがよりよい仕事をしたのか評価せよ、というものだった。正直に、本論には全然付いていけない感じ。
(日本人にこの手のトピックはは結構きついです。結局のところ、政治・経済的背景から、その候補者が当時どのように見られていたのかを加味して、Outperformしているか判別する必要があるので)

なお、ラスト・コメントで述べられていたテクニックというのは、端的には「繰り返し」「韻を踏むこと」「個人的エピソードの活用」といった、形式的なもの。過去の有名なスピーチを分析してみると、たしかにそういった技巧がちりばめられている。特に、テレビに映るケースを考えると、何か特定の数秒間が引用されて何百回も放映されるため、意識的にそういう時間を作ったり、逆になんらかの恥ずかしいシーンが開陳されないようにと、担当者はとにかく神経をすり減らすのだそうで。

ちなみに、大失敗シーンの代表例として挙げられていたのがこれ。民主党内の大統領候補選でH. Dean氏が3位に負けたというのに、ハイパー・ハイになっていて「駄目だコイツ、早くなんとかしないと」ムードを全米に広げた例。無論、最後の数秒だけがカットされ、朝からお茶の間で大量放映され、最終的に民主党候補はケリーに決まった、という経緯。





さて、大統領ともなれば、そのスピーチライティングの裏には色んな専門家が集っていて、天候や時節柄を加味したジョークなどの例もふんだんに(特に失敗例を中心に)デマレスト氏から紹介された。Bush Sr.は書いたジョークをことごとく理解してくれなくて、ウケる形で喋ってくれないからよく凹んだ、とのこと。GSBには他に、Bush Jr.の秘書的な補佐をしていた同級生とか、現在進行形でメグ・ウィットマンの事務所にいる学生とか、色々いるのだけれど、やはり政権とエリートのの距離が近いだけあって、その生活様式とか、準備の仕方等、大変身近な経験が共有される授業だった。

そして、授業のサビともいえたのが、模擬討論。加州の知事及び上院選の両陣営に配属を行い、習ったスキルを十二分に発揮せよ、といえるもの。4人のグループで、一人の候補者のポジションを分担してしゃべるのだが、これも結構大変だった。クラスメートからは、「人は見た目が9割」なんだから、そのつもりで、といわれたので、その通りにやったら、意外と反応がよかったので、それでとりあえず個人的にはよしとしてみた。

なお、授業の終わりのほうで、日本の政治的コミュニケーションについて述べる機会があった。米国でもそうだけど、本音と表出する言葉の質でいうと、やっぱり前者が圧倒的な課題なので、そういうところで日本も信頼を得られる世の中にしたい。日本でこれだけのレベルの討論が行えるのなら、支持するのは民主・共和どっちでもいいくらいだ、といったことを述べた。
今まで話した大半の学生の反応から見ても、「何も決められない国、日本」というのは共通した見方になっている。だからといって、無闇に何でも変えようとする人たちもいるのだけど、そういうレベルの意思決定よりも、一段高いところに持っていく技術は、もっと色んな政治家に実践して欲しい。


2010/10/01

昔最強女、今政治家修習生


GSBのパブリックマネジメントプログラム絡みのお誘いで、急遽カーリー・フィオリーナとの昼食会に行ってきた。

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昼食会というと、通常はもうちょっとフランクな場所であることが多いのだが、行ってみて一目瞭然、これは彼女の加州上院選に向けた列記としたキャンペーンだった。

フィオリーナといえば、誰もが知るFortune 20企業初の女性社長。1998年にForbes誌で世界で最もパワフルな女性として取り上げられ、99年にHPの社長に就任、その後の、コンパックとの合併のゴタゴタに至るまでの話も有名である。もともと、スタンフォードを中世史等の専攻で卒業した彼女は、ロースクールも一学期で中退し、受付嬢や経理、教師といった仕事を転々としていたことでもよく知られている。

フィオリーナのそういった背景の話は、うすうす聞いてはいたのだが、目と目が合う距離で今一度展開されると、ああ、この人はこの人で苦労してきたんだなあ、と中々ぐっと来るものがあった。やはり、受付嬢からHP社長へ、という本人の十八番のストーリーの説得力は、自由と自己責任・小さな政府志向の哲学とこれ以上ないくらいマッチしている。大方の人は、これでイチコロだろうなあ、と感じていた。

ただ、昼食会が進むにつれ、何となく違う印象が芽生え始める。この人は案外、企業経営といったスコープでは活躍するのかもしれないが、政治家としてはどことなく「押し」が弱いのではないか、という点である。
第一、述べている内容があまりにも共和党の平均値というか、代理スポークスマン的な内容である。おりしも、2010年のカリフォルニアといえば、メグ・ウィットマン(元eBay社長、というか成長の立役者)とフィオリーナという、スター経営者により展開される知事選・上院選が、米国の政治動向にどんな新しい流れを生み出すのかが、衆目を集めているところである。だが、正直なところ、投票権がない自分であっても、聞いていて何か個性がほしいと感じる内容だった。姿勢やしゃべる内容の率直さ、強さはビンビンと伝わってくる。しかし、一貫したPartisan的言動ばかりが目立ち、だんだんと集中力も途切れてくるような内容であった。

ただ、そこはさすがGSB、といえるような眠気を覚ます展開が待っていた。質疑応答に移行した後、いくつか「無難」な答弁を終えたあと、真横に座っていた学生司会者が、「質問があるのですが…」と切り出した。

司会「フィオリーナさん、今日は来て頂き、本当にありがとうございました。私の政治的ポジションは、あなたのそれとは違うのですが、大変興味深い内容でした」
フィオリーナ「ちょっと待ってください、どのようなあたりのことが違うのでしょう?」
司会「いや、ぶっちゃけ、全部です」
フィオリーナ「え??」
司会「正直なところ、あなたの減税案の話はいい加減だと思う。25万ドル以上の所得を得る家計への減税が持つ限界的な効果よりも、低所得者向けのベネフィットを多くしたほうがいいのは、みんな分かってることです。」
フィオリーナ「はい、そういう側面もあるかもしれません。ただ私が述べたかったのは、中小企業の経営者や、多くの子どもを抱える家計にとって、これは決して多すぎる額ではないということ、雇用にもつながること、を申し上げたかったのです」
司会「でも、25万ドル稼げる家計って、めちゃくちゃ恵まれてないですか?雇用も、そんなところではなく、景気に左右されるんじゃないんですか?」
(以下つづく)


選対の人達が一瞬でこのKYめ、という顔に変わったのが面白かったのだが、本質的なことをごまかしてほしくない、という司会からの熱意の産物のようなやりとりであった。司会の彼は、超の付く貧困層の出身で、ものすごく苦労しながらハーバード出て、投資銀行に勤めていた友人である。そこかしこで展開される美化されたストーリーに辟易していたのかもしれない。

そしてあっという間に1時間のランチは終了。ビジネススクールの学生のディベート能力が優秀なのもあるのだろうけど、あのレベルの議論で簡単に折れないでほしかったな、という感想が残った。ウィットマンの知事選に比べれば、守勢に立たされているとされるこのフィオリーナの上院選。今回は疲れていたのかもしれないけれど、もう少し厚い「面の皮」を養いつつ、ワシントンに新しい風を吹かせて欲しい、と思った。