2010/03/14

(ゴシップ)デスパレートな妻たち外伝

試験中につき、完全に息抜きネタ。今学期は何だか勉強らしい勉強が多すぎて、真面目な学びにはなっているのだけれど、敢えて記事にするには恥ずかしい内容が多い。。。


あるゴシップ誌による記事「リーマンのデスパレートな妻たち」
が面白い。以下は脚色した抜粋。
(留学中に、Vanity Fairなんか読むなと怒らないで頂きたい)


・(金融危機の戦犯扱いされることも多い)CEOファルド氏は、幹部がちゃんと奥さんと仲睦まじくしているかをすごく気にしていた。家族安泰による仕事熱心を願って。
・本人はトレーディングデスク時代に面接で奥様に出会われた。「彼女はかわいすぎる、雇ったら絶対に他の男性の仕事の妨げになるだろう」とコメント。結局、彼自身が虜になった。
・あるMDが43歳まで結婚しなかったことをいたく心配。
・後のCOOとなった社員が電話で夫婦喧嘩をしているのを聞いて、真摯に面談。
・ファルドの大口顧客、娼婦の斡旋を断られて激怒されたという社内伝説。
・ファルド家の家訓「納得がいかなかったら何でも反対しろ。家では俺のことをくそったれ(直訳できない…)と呼んで構わない。ただ、外では家の事情への不満は口に出すな」"Disagree with me all you want in private. Call me an asshole at home all you want. But never air your domestic grievances in public"
・これらの内容は、すべて会社の結束と、仕事への献身のため。「リーマンの嫁」となった女性たちに、ファルドは常に週末を奪ったことを詫びていた。


上述のあたりまでは、何だかまだ、業績のために家族を気にする(やや優しい)会社、という風にも読める。ただ、以下は結構すごい。


・小さな週末のイベントにも、幹部の夫婦での参加は必須。ある幹部の子どもが高熱を出した際には、CEO含む幹部が家の近くでヘリコプターで待機、という事態に発展。
・年一回、奥さん全員強制参加のハイキングが実施された。一部の奥様は松葉づえを持参して欠席を表明するも、その上を行くギブスを付けた奥様が登山を表明して計画は破たん。
・当然、奥様同士の消費競争も激化。慈善団体における地位や、財団の規模においても激しい競争。
・ある役員が再婚した相手が買い物魔だった。その方の年間の「お買いもの予算」は15億円。
・旦那がリーマンを離職したあとの奥様は幽霊扱い、離婚もしょっちゅう、それまでの奥様同士の友人関係は当然消滅。


ここまでの世界を作るリーダーシップそのものに驚く。よく、何十億円も稼いで、何でまだやる気が出るんだろう、という話があるが、消費のレベルと、寄付とか財団の規模といった、新しい次元での「旦那様の競争」が用意されているあたりがすごい。こういう消費スタイルは、ヘッジファンド出身者による寄付パーティでの振る舞いとかに少し感じるところがある。


2010/03/05

心理学の名所に行ってきたぞ

さほど有名な所ではないのですが、後輩のH君がその昔、一生懸命行動経済学の勉強会をやってくれたこともあり、ぜひとも行かなければ、と思っていたので。


マーケティングの理論でよく取り上げられる話として、「あまりに多い選択肢よりも、少数の選択肢の中から商品を選ぶほうが、消費者は購買に動きやすい」という仮説がある。この理論を持ち出すときに、かなりの頻度で取り上げられる論文として、スーパーでのジャムの購買行動を観察したIyenger and Lepper (2000), ”When is Choice Demotivating”(参照PDF)がある。
実験の内容・結果は以下の通り:

1)ある高級スーパーにおいて、学生扮するWilkin & Sons(英国の王室御用達ジャムブランド)の売り子がプロモーション・ブースを設置。半分の時間は、24銘柄(イチゴ等のありがちな銘柄は除かれた)の試食を実施、もう半分の時は厳選された6銘柄(2つは人気銘柄、2つは中庸な銘柄、2つは不人気銘柄)の試食を実施した。
2)試食テーブルに来たお客さんは、ジャムの一ドル割引券をその場で入手し、試食したあと、気に入った銘柄があれば、後ろの商品の棚まで取りにいく必要があった。
3)24銘柄を提示されたお客さんのうち、ジャムを実際に購入するにいたったのは全体の3%に過ぎなかった。一方、6銘柄の試食をしたお客さんの購買比率は30%にも上った。

この結果から、消費者の限定合理性とか、Choiceが多いことは必ずしも良い判断につながるわけでもない、といった結論が導かれ、様々なジャンルの実務/研究に応用されている。たとえば投資信託の販売においても、実際には購買可能な数百銘柄のリストを見せるよりは、厳選された/代表的なリストで顧客に提案を行う、といったアプローチが取られている。


さて、この実験の現場となったのが、
スタンフォードの隣町メンロー・パークにある、Draeger'sという高級スーパーである。初めてこのスーパー・チェー ンに入ったのだけど、明治屋と紀ノ国屋スーパーを足したような、とにかく高級路線。1300ドルのワインとかを普通においてあったりする。目を見張るのは、 中規模のスーパーであるにもかかわらず、息を呑むような商品のラインナップ。


そして、これがそのジャム売り場である。

なるほど、24銘柄という数は、確かに「購買に至る」には多い、とベタに思った次第。

ちなみにここのスーパー、ほとんどのお客さんが明らかに富裕層な雰囲気を醸している。普通のスーパーのつもりで行ったので40分ちかくうろうろした挙句、ジュースと殺虫剤だけ買うという、何とも色気のないことをして帰ってきた。


2010/03/01

ナパを訪ねる

出国前、会社で2004年の入社時に大変お世話になった方から、

「存分に学んできてください(たまには息抜きと文化の吸収も)」

というメールを頂いた。西海岸らしい文化の吸収は何だろう、と思ったときに、最初に思い当たったのがナパのワイナリー群だった。以来半年弱、中々訪れる時間が確保できなかったのだが、一昨日、思い切って、遠出してみた。数あるナパ訪問記としては、あまりに初心者的であることについてはご容赦を。

ナパは、スタンフォードのあるパロアルトからは150キロ少しの所にある。途中、サンフランシスコ市街を抜けて、運転すること二時間少し。2月末は、芥子菜が黄色い花を咲かせている。


ちなみに、芥子菜の花が本当に好きな(変わった)方は、全然関係ないけれども12月のインドを旅することを薦める。デリーからタージマハルに行く途中の、視界が真っ黄色になる体験はAmazingとしかいいようがない。

ナパには本当に沢山のワイナリーがあるけれど、マス向けの所から、ニッチ、招待がないと行けない所、といった序列のようなものもあり、それなりにゲートキーパーが必要な印象。今回はガイドブックすら見ず、裸一貫で臨んでいます。

最初に訪れたのは、Silver Oakという、ネットを頼みに嗅ぎ当てた一件。


入り口から長い道路を入ると、いきなりリムジンが数台止まっている。リムジン専用の駐車場もあり、ナパってこういう所得水準のところなのか、という初期学習が始まる。

ここは、20ドルで2杯のテイスティングと、ワイングラスが貰える。カベルネとピノの試飲のあと、ただいまキャンペーン中ですといって、一本100ドル、2000年のカベルネが一杯ついてきた。一本100ドルのワインなんて、自分のお金では初めて(試飲だけど、一杯だけだけど)なので、何だか嬉しい。

そのあと、ランチに。これまたネット頼みで探し当てたレストランのBuchon。隣にベーカリーもあるところ。


ここでもピノを頂いて、チキンとビフテキという贅沢ぶり。二人で130ドルの昼食とか、これまたいつ以来だろう。段々と良くなる天気に機嫌を良くして、財布がダダ漏れ状態になる。

午後は、たぶんこれぞマス向け、という所なのだろうけど、Robert Mondaviのセラーへ。一人25ドルのツアー(3杯の試飲つき)に参加。


2月末は、まだ苗木がある、というだけの時期。小さな苗木の真ん中に切り込みを入れて、思い切りT字に曲げるのだと。一度芽が出たら、一日5センチのスピードで育つらしい。

平原一面にこれが広がっていると、苗木だけでもきれいなので、夏に来たら(暑いらしいのだけど)尚更凄いのだろう。絶対、また来ないと。



解説をしてくれたソムリエのおっちゃんいわく、ナパのブドウは、夏の間の酷暑により糖度を増したあと、秋口の急激な冷え込みによって皮にタンニンを蓄えるらしい。サンフランシスコ湾から立ち込める霧が、数十キロ北上してこの谷に立ち込めることが大事なのだと。
モンダビさんは、イタリア系の家族の子孫で、禁酒法時代に、家族ごとに200ガロンまで自家消費用のワインを作って良いという特例に気づき、こちらでビジネスを築いたのだとか。

Mondaviのセラーは、なるほど大手という感じで、ものすごい量のリザーブワインを作っている。


鏡写しではなく、ずっと続いてるんです。
これ全部でも、2009年収穫分だけらしい。同じだけの量が、他のフロアに置かれている。圧巻というか、工場萌えのような気分に。この後、3杯の試飲をして、遅くならないうちにそそくさと帰路につく。

こっちは、サウスベイとは違って、天然の緑が豊富だ。どんな写真を撮っても、何だか絵になるな。



というわけで、二つだけワイナリーを回って退散。

今回分かったこと。

・ナパめぐりはお金がかかる。
・でも、つまみなしでもワインがうまい。赤ワインってこんなに美味しいんだ、という感じに。
・でも、一本100ドルのワインとか、どうやったら買う気になれるのかは分からない。
・ドライブするには、ここは最高。お弁当とか広げるだけでも楽しいかもしれない。気軽に来れる距離だし。
・夏はすごく暑そうだけど、景色のためにも必ず来ないと。ちなみにピークシーズンは初冬。


2010/02/27

倫理の時間

MBA教育にとっての倫理。

建前であろうと本音であろうと、経済危機の反省を迫られたMBAプログラムにとって、倫理教育は向こう10年は不可欠のカリキュラムとして設定されることになるのだろう。日本でも、持続的経営、企業の社会的責任、ステークホルダー型経営、といったテーマから、強欲資本主義のようなキャッチフレーズに至るまで、世界中の批判ネタを提供しているのだから。

GSBでも、倫理は一年生の必修科目である。2月の初頭より、その授業がスタートした。正直なところ、思っていたよりも授業が実践的で、先端的な内容であり驚いている。その取り組みを少しご紹介しておきたい。

まず、カリキュラム。半期の授業なので、全9回となっている。

1.イントロダクション/CSR
2.直観
3.状況
4.自分へのごまかし(Self Deception)
5.功利主義
6.義務とは
7.正義とは
8.学びをどのように活かすか
9.まとめ

2~4回が心理学的アプローチ、5~7回が哲学的アプローチと名付けられていて、現在、第5回が終わったところ。
これらの学習には、ケーススタディ、経営環境を題材にした教科書と、古典的な論文や論考が事前課題のリーディングとして課されている。たとえば、第一回のCSRを取り上げるパートでは、フリードマンによる「企業の社会的責任は利益最大化である」という論文、誤用すると利用者が死んでしまうヒーターの話、社会的責任とはを正面から分析する教科書、というのが対象であった。正直、割と何とか対応できるだろうと思っていただけに、毎回数十ページあるリーディングを全部こなすのは(他の授業との兼ね合いでは)肉体的に結構つらい。

ただ、秋学期にもあった組織心理学と被る所はあるものの、心理学と行動経済学を合わせた倫理の授業というのは、予想以上にタメになっている。以下は、「2.直観」授業の中で出てきた実験の一つ。下記の文面を読んだ後で、質問に答えるご自分を想定して頂きたい。ちょっと、エキセントリックな例であることはご容赦頂きたく。


ジュリーとマークは姉と弟である。二人は大学生で、夏休みを利用してフランスを一緒に旅行している。ある夜、二人はビーチの近くの小さな小屋に宿泊していた。二人はふと、ここで関係を持ったらとても楽しいのではないか、と思いつく。少なくとも、とても新鮮な経験になるのではないかと。
ジュリーは既にピルを服用しており、マークも安全のために避妊具を付けた。二人は関係を持ち、とても楽しい時間を過ごしたが、今後はもうしないことも誓い合った。そして、その晩に起きたことは二人の間での秘密となり、この秘密のお陰で二人はより親密な思いすら持つようになった。

原文は J.Haidt (2001) "The Emotional Dog and Its Rational Tail" (参照

ここで、教授からの呼びかけ入る。

「さて、二人がやったことが間違っていると思う人は手を挙げて」

見渡す限り、全員が挙手。

「じゃ、君、そう思う理由を言って下さい」

『えーと、ほとんどの社会の中で、近親者との関係は良くないこととされているから。』

「いや、この事実は二人だけの秘密なんです。規範とかはここでは問題じゃない」

『じゃあ、近親者との間に子どもができると、異常な遺伝を生みやすいからですっ!』

「いや、二人は完ぺきな避妊をしているんだ。それも問題じゃない」

「んーー、、、二人は後で傷つくかもしれないからだ」

『いいえ、二人はとても楽しい時間を過ごして、大事な秘密を持ったことでさらに仲良くなりました』

「いや、えっと、、、その、、、」

断固として論破されまい、自説に欠陥があってもそれを受け止めることなく「そういう意見もありますね」と流す米国人学生が、ちょっと教授に屈した瞬間である。

この問題、二人の自由が大事だという前提がある限り、基本的に何も悪いことはしていない。ただ、ほとんどの社会においてタブーとされていることを堂々とやっているのだから、生理的な嫌悪感を覚えるのも事実。面白いのは、基本的に「そこには何か理由があるはずだ」と脊髄反射的な判断が行われてから、実際に論拠を探しに行く脳の構造である。
この順番は、通常「何らかの理由付けがあって、我々は判断をしている」という事実を簡単にひっくり返すものだ。元の論文にも書かれている表現を用いれば、「感情的な犬と理性的な尻尾」という感じで、実は感情が先にあり、それを裏付けるべく理性が働いているのでは、ということになる。仕事の話を持ち出すまでも無く、あらゆる局面でこれは正しいことが多い。

授業は、このような現象もあるのだから、直観的判断に頼ることには少なからぬ危険があるし、ちゃんと理由があって判断をしているのか、気をつけましょう、と伝えて終わった。割と一般的なTake awayであるにも関わらず、全員がその内容を体感でき、中々効率的なものだと感心した。事前課題の参考文献にSunstein(Nudgeの共著者)のヒューリスティックに関する論文が挙げられていたこともあり、これらをしっかりと読めば、自らの行動を律せるようにもなるんだろうなあ、と思うくらいに。平たい言葉で言ってしまえば、誰にでも良く分かる授業だった。


ビジネススクールに来るエリートの中に、古典や哲学者の名前を引用できる人は驚くほど少ない。よく、欧米の知識エリートは云々、という言い方が国内ではなされるけれど、少なくともスタンフォードGSBは例外であり、むしろセンター試験で一通り触れている人の方が、この哲学という分野の知識は圧倒的に上なのではないか。無論、ちゃんとやっている人の習熟度は凄いのだろうけれど(参照)。
しかし、その状況を受けて開き直った上で、「使える倫理」を教える姿勢には、日本にも十分活かせるプラグマティズムを感じる。個人主義の中での倫理の大切さが、ちゃんとボトムラインとしての効果を持つように、何だか教育機関として万全の保険を与えているような印象を持った。同時に、ビジネススクールの中で、倫理も立派な売り物になるのだ、ということも体感した。


2010/02/22

ソーシャルメディアの扱われ方

シリコンバレーに来て以来、興味の湧いたものの一つは、ベタではあるが、ソーシャルメディアである。とくに、ソーシャルメディアの中での、FacebookとTwitterの扱われ方の格の違いを感じさせられることが何度もあった。

2社への評価は賛否両論。ビジネスモデルの評価で滅茶苦茶厳しい評価を行うことが多かったストラテジーの教授も、Facebookのモデルについては、今自分が知っているビジネスの中で最もポテンシャルを感じるもの、と言っていたり、片や、ウェブドメインの買収を行う卒業生は、あれは誇大に扱われ過ぎだ、と一蹴していたり。Twitterについては、FBほどの普及率はない(日常的な米国人との会話の中にもさほど出てこない)ものの、ユーザーの密着度と、必ずといっても言及される度合い、もう成長がピークアウトしたから興味がない、といった悲観論も含めて、ある程度の産業のポテンシャルに対する常識が共有されているのが面白い。

そういえば下記の、とある有名スタンフォードOBに関する動画の中でも言及があり、
http://nbcsports.msnbc.com/id/22825103/vp/35505777#35505777

「世間をお騒がせし、申し訳ありません」という謝罪はソーシャルメディアで行うのが効果的ではないか、と指摘されている。ブログやTweetで、メッセージを確実に、必要な量だけ届けられるという意味では、記者会見を打って、下手にリスクを晒すよりは良いと、こっちの人は考えるのかもしれない。


ソーシャルメディアは、今学期取っている授業の中では、Eコマースと、マーケティングの中で言及されることが多い。

Eコマースでは、FBをまだ取り上げていないので、新たにメッセージが出てくるのかもしれないけれど、基本的には、スタンフォードの戦略論の中で出てくる、DSIR(Demand Side Increasing Returns)の概念の中で、ネットワークが持つ価値とくっつけた議論がなされている。もはや、これも標準的な説明であるけれど、ユーザーが多ければ多いほど良いことや、他の派生的なビジネス機会、ネット上の広告宣伝の付加価値、といったことに紐付けて、その効果を検証する課題などが課されている。

マーケティングでは、もうちょっと「チャラい」アプローチが採らている。端的にいえば、とりあえずFBやTwitterやYoutubeも含めて、ウェブを使っている広告戦略がどんなもんか、素人的な意味を理解しましょうよ、という印象。
特に取り上げられたのは、(1)ドミノピザ、(2)Dove の二つのキャンペーン。

(1)ドミノピザ
Youtubeで「ドミノピザはまずいと思われてるけれど、実は色々R&Dをしていてかなり美味しいんだよ」というメッセージを流して、その反響を用いるキャンペーン。



このムービーに対する、クラスの反応は8割賛同、2割反対。賛同する側は、自分たちの立ち位置を良く分かっている、それにプロアクティブに対応しているのでまとも、という感想だった。
しかし、私は2割側。ドミノが別に(日本の宅配ピザと比べても)そう劣った水準にあるとも思えないし、ちょっと宅配込みで高いとは思うけど、ネガティブな理解を敢えてプッシュするもんじゃないだろう、と感じていた。

授業の中での、ソーシャルメディアを扱う際の注意点は、言葉は悪いが、とにかくどういう方向に炎上するのか、をちゃんとコントロールすること、であった。通常、コントロールするのは、ウェブの特性からして不可能にも捉えられるのだけれど、ある程度の常識や出す情報の方向性とかから、そう外すこともない、という印象を受けた。

(2)Doveのイメージ広告
Doveは、複数の商品を束ねたCMを作る戦略を採っているのだが、2002年頃から、日本人の感覚からすると、ちょっと変に思われるかもしれないCMを打ち始めている。それまでの「造られた美」から「個人の美を大事にしましょう」という方向に、かなり大規模なキャンペーンを打ち続けている。




この広告戦略の効果は非常に大きなものだったのだと、少なくともケースは指摘。
ただ、この方向性はちょっとエスカレートして、より過激なメッセージを送ることにもつながった。

オフィシャルな映像なのですが、後半きつい描写が入ってます。


ここまでやってしまうと、ちょっとそれはどうかと思う、という人がクラスの中でも多数派を占めるようになってしまう。「化粧品は、そこそこの夢を買うことも付加価値に含まれているのに、それを破壊してどうするの」というのが、その中心的な意見。
教授によるとこのCMの反響は、あまり芳しいものではなかったのだそうな。

その一つの分かりやすく、いかにもウェブ的な批判というのが、Doveと同じP&GブランドのAXEは、滅茶苦茶下世話なCMをやっているじゃないか、という点。



Doveへのダメージがどれくらいあったのかは分からないのだけれど、ウェブ上だと、一つの点を誇張して美点凝視してもらおう、とする戦略は絶対にうまくいかない、という点が、授業のKey Takeawayであった。

今学期の終わりころには、また異なる見方を持つことになるのかもしれないけれど、今の時点でソーシャルメディアに感じる、成功するためのテーマは、2つ。

(1)企業が全体として提供しているサービスのメッセージに、ブレがないこと。
(2)何らかの「この企業にしかこれはできない」と思わせるExcellenceが必要なこと。

ということである。どちらも、相対的にはスタートアップの企業に向いたアプローチであり、複合的、歴史的なコンテキストを持つ企業には、禁止的ではないが、不利に働く要素なのだと感じた。


(おまけ)

ちなみに、他のソーシャルメディア、たとえばLinkedinやSecond Lifeについては、あまり言及されることが少ない。Second Lifeについては、Eコマースのケースで取り上げられたものの、学生や教授の反応や感想をまとめてしまうと

Second Lifeは使いづらいし、住人はちょっときもち悪い

というものだった。
昨日、アカウントを作ってみて、一時間程度でどこまでできるか試してみたのだけど;

(1)無料で選べるアバターが少ない
(2)何だか色々顔とかいじれるぞ
(3)とりあえず着せ替えさせようとしたら、なんか全裸(白い靴下だけは着用、笑)になっていて困る
(4)辛うじてジーパンとシャツだけ着たけれど、髪の毛が取り戻せない
(5)髪の毛が同じく取り戻せなくなっているアバターを発見して、「困ったね」と会話を交わす。

というところで、とりあえず体験時間は終了。ものすごく時間を投資すればよいのだろうけれど、自分にはまず無理だと直観的に思えてしまった。ぜひ、一時間だけ、やってみることをお勧めします。


2010/01/31

サンフランシスコ・バレエ

オフネタばかりだが、ちょっと学術では基礎的な内容に触れることが最近は多いので。。。もう少し体系的に面白いことが見えてきたら書きます。


12月の初めにくるみ割り人形、昨晩は白鳥の湖と、サンフランシスコ・バレエ団(参照)の公演を見てきた。前者の公演はDVDにもなって日本でも発売されている模様(参照)。バレエ団はSNSやローカルメディアのネット上でも結構広告を流したり、リピーターにはDMを頻繁に送ってきたりと、日常的に目に入る存在になっている。

昨晩は、DMで白鳥の湖の「出演者へのインタビュー、観劇、劇後のレセプション」がセットになって59ドル、というオファーがありうまいこと乗せられて参加してきてみた。夜7時からのプログラム開始のために、5時前には家を出たのだが、雨と夕方の101という、最悪の交通状況の取り合わせで到着したのが7時半。


仕方がないのでサンドイッチ(場内だと一つ十ドル、高い)をつまんで、インタビュー部分は諦め、本劇へと足を運ぶ形になった。

前回、くるみ割り人形を見に来た時には子ども向けにプロモーションが行われていたせいか、小さな子どもが客席に多くて、おしゃべりや飴の包み紙音を立てたり、あんまり集中できなかった。しかし、白鳥の湖は流石大人の世界という感じで、しっかりとドレスアップした夫婦やカップルだらけ。こっちの人は夜はちゃんとお洒落して出かけるんだなー、と感心。

バレエの知識がないので、内容をどうこう言うことはできないのだけど、公演はこれぞ一流、というもので、最後まで(短時間睡眠にもかかわらず、寝ないで)集中して見る事ができた。白鳥の湖だと、32回転が一番の見せ場とされるけど、40「人」近い白鳥が一糸乱れぬ動きを見せると、何だか夢を見ているような気になる。
学術の理解に妥協の多いMBAとは対極にあるようなストイックな世界を垣間見て、ストイックさを追求するなら徹底しないと、と反省してみたり。

公演後のレセプションは、スポンサーをやってるウォッカを使ったカクテルとか、ワインとか、チーズがふんだんに振舞われていて、このお金はどこから来ているんだろうと考えてみたり。儲かりすぎると怒られるからか。
オペラハウスの3階にあるレセプションルームからは、目の前の市議会の一部が見える。シックな場所で、何だか大音量でクラブミュージックが流れていて、滅茶苦茶きついウォッカ・マティーニが振舞われていてと、何だかカオスな空間だった。インタビューも含めれば、案外デートにオススメできるかもしれない、10ドルのスパークリングワインも飲み放題だったし。なお加州では、飲酒運転は、一杯ならば何とか大丈夫、二杯目からはグレーゾーン、と定められている(参照、の81p図表を参照)。




余談だが、バレエ団の宣伝では、必ず「寄付のお願い」が来る。大口のスポンサーにはVCの他に金融機関が多いけど、こういうところへの資金援助とTARPへの資金返済は関係ないみたい(参照)。
個人も、凄いレベルでの寄付をぽん、と出しているあたりには(参照)、財団への税制の違いを感じさせられる。

更なる余談。おそらくほとんどの公演が行われるWar Memorial Opera Houseはサンフランシスコ講和条約が締結された場所(参照)でもある。歴史的な場所でワインとチーズをいかが、というには、日本人にはちょっと歴史的過ぎる場所なのかもしれない。

2010/01/24

(Offネタ)アバターを観てきた

ちょっと番外的だが、週末に今更ながら観てきたアバターの感想を。

元々、夫婦で映画が好きだ。年に60本くらい見た年もあったくらい。個人的な好みは、SFの中でも、ゼメキスのBack to the FutureやContact、ベッソンのFifth Elementみたいた、監督の個性と、分かりやすい設定が出てくる作品。キャメロンの作品では、アビスが好きで何度も観ていた。最近では、Timetraveller's Wife(きみがぼくを見つけた日、SFというには厳しいかもしれないけど)が良かった。こういう映画を見ると、観た後にその世界観を引きずる感じが心地良い。

ただ、こっちにきてからは字幕もないし、何より時間もないので、だいぶ映画はご無沙汰になっていた。そんな中、友人と会食したりfacebookでの発言を観たりしているうちに、何だか周囲はアバターを見ないやつはどうかしてる、みたいな雰囲気になっていることに気付く。取り残されてはいけないと思い、噂の3D対応シアターで観てきた。

以下はネタバレを含みますが、まだの人は見る時間を作るべき、とだけ書いておきます。




結論から言うとこの映画、現存する技術や発想の取り合わせで、SF映画作品の最長不到距離まで飛んだような印象だった。3Dの使い道もそうだけど、仮想現実(いや、リアルか)と、種族の分断と、ハリウッド的なドンパチを、これでもかというくらいに効率的に詰め込んでいて、これで売れなかったらSF映画はあかん、というパッケージになっていると思った。何より、キャメロンの鬼のような執念を感じ、この映画を撮るために全てをやってきたのでは、と思わさせられた。過去の自分の作品からの引用と、SF分野の作品、宮崎アニメと、きっと気づかなかった多数の映画へのオマージュに溢れていて、自らの世界観というのはこういった要素により形成されて、育てられたんだ、という気迫が伝わってくる。

話の内容は既に存分に紹介されているので触れないが、この映画の主題には、二つの軸があると感じた。一つは宮崎アニメに頻出する「世界の調和」で、もう一つは米国人が奥底で感じているのかもしれない開拓精神の疚しさなのだと思う。

前者の中でも、ナビ族の触手の用いられ方には、色んなメッセージを感じた。触手を使って、他の生物を直接コントロールできるわけでもなく、またいくら親しくなっても踏み込めない領域があることを自然に描き出している。そして、大きな植物がクラウドみたいな役割を果たしていて、そこを介在して二つの世界の間の往来が行われるという、子どものような発想力。マトリックスでは頭に電気プラグという、何とも痛々しいプロセスでその伝送が行われていたのに対して、アバターでは同じ行為がもうちょっと自然な、ナウシカの王蟲の触手のような生々しさに包まれている。あくまで、世界の調和には人類の良心が必要!みたいな、何だかストイックなテーマを練りこんでいて、なんだか一つの基本にやけに忠実だと感じた。

後者の開拓精神の疚しさは、あまりに前面に出されていることが衝撃的だった。もう一種のSFのジャンルとして確立されている(1)「退廃した地球」、の延長線で、(2)「相変わらず人間が宇宙を汚している(しかも株主至上主義により)」というのが重なっているのは、(1)金融危機後の安易な資本主義批判、と(2)温暖化問題、という二つの「超ベタ」な時代テーマに乗っかるという、何だか映画を売り込むためのなりふり構わない設定が取られている気になる。アビスの中でも、こういった割と説教くさいテーマは出て来たのだけど、当時、キャメロンはそれを控えめに出して、あんまり重くしすぎないことに成功していた。。さらに言うなら、スターウォーズも政治システムをそれとなく批判するくらいだったので想定観客の間でメッセージが生き残ったのだと思う。基本的に情報の受け取り手が十分思索して、こういうことなんだろう、とメッセージを類推するプロセスも、SFでは大事だから。
しかし、アバターでは情け容赦ない設定が取られていて、現地法人の社長(と言うべきか、、、)が困惑する表情を浮かべていたり、更に株主至上主義経営に乗っかった「戦争をやめられない軍曹」が映画のラスボスとして君臨しているあたりに、マイケルムーアと同じ意固地さを感じてしまった。より大きな人口に向けて、分かりやす過ぎるメッセージを打つという、ちょっと大き過ぎる賭けに出たような気がしている。
この強気なポジショニングと同時に、更にナビ族が「ほとんどインディアン」であることが、更にその印象を強いものとしている。他のブログで、Last of Mohicansに近いような主題だ、という指摘があったけれど、まさにその通りだと感じている。これらのコンボで考えると、キャメロンは政治的な意思ありありでこの作品を作っていたんだなあ、とSFへの愛との兼ね合いで考えると微妙な気分にもなったりする。

この映画、同級生の中での反応を見てると(1)とにかく映像や3Dや出てくる機材がクール、ストーリーも申し分なし、(2)中に出てくるデバイスや乗り物は面白かったけど、ストーリーは結構微妙、という感じに二分されている。個人的には結構(1)のほうで、やっぱりラスボス討伐後のご対面シーンとかはぐっと来るものがあった。(2)の反応の人たちは、秋学期のクリティカルシンキングの授業が良い特訓になったのかもしれない(笑)

ちなみに、続編も構想中なのだと。正直、予測市場があるなら二作目は絶対コケる方に掛けたい。既に出すべきメッセージネタの在庫は尽きてしまったように思えるし。ただ、T2という偉業をやった監督だけにそこは是非成功して欲しい、という応援もしたいところ。

最後に3D技術について。今までもUSJのスパイダーマンライドとかで経験してたけど、昔からあったこの技術に、ちゃんと脅かす以外の位置付けを与えたことは大きいと感じる。予告編でみた不思議の国のアリス(またもバートン×デップという悪夢バージョン、笑)とか、映画館を廃れさせない道はまだまだあるのだな、と感じた。