MBA教育にとっての倫理。
建前であろうと本音であろうと、経済危機の反省を迫られたMBAプログラムにとって、倫理教育は向こう10年は不可欠のカリキュラムとして設定されることになるのだろう。日本でも、持続的経営、企業の社会的責任、ステークホルダー型経営、といったテーマから、強欲資本主義のようなキャッチフレーズに至るまで、世界中の批判ネタを提供しているのだから。
GSBでも、倫理は一年生の必修科目である。2月の初頭より、その授業がスタートした。正直なところ、思っていたよりも授業が実践的で、先端的な内容であり驚いている。その取り組みを少しご紹介しておきたい。
まず、カリキュラム。半期の授業なので、全9回となっている。
1.イントロダクション/CSR
2.直観
3.状況
4.自分へのごまかし(Self Deception)
5.功利主義
6.義務とは
7.正義とは
8.学びをどのように活かすか
9.まとめ
2~4回が心理学的アプローチ、5~7回が哲学的アプローチと名付けられていて、現在、第5回が終わったところ。
これらの学習には、ケーススタディ、経営環境を題材にした教科書と、古典的な論文や論考が事前課題のリーディングとして課されている。たとえば、第一回のCSRを取り上げるパートでは、フリードマンによる「企業の社会的責任は利益最大化である」という論文、誤用すると利用者が死んでしまうヒーターの話、社会的責任とはを正面から分析する教科書、というのが対象であった。正直、割と何とか対応できるだろうと思っていただけに、毎回数十ページあるリーディングを全部こなすのは(他の授業との兼ね合いでは)肉体的に結構つらい。
ただ、秋学期にもあった組織心理学と被る所はあるものの、心理学と行動経済学を合わせた倫理の授業というのは、予想以上にタメになっている。以下は、「2.直観」授業の中で出てきた実験の一つ。下記の文面を読んだ後で、質問に答えるご自分を想定して頂きたい。ちょっと、エキセントリックな例であることはご容赦頂きたく。
ジュリーとマークは姉と弟である。二人は大学生で、夏休みを利用してフランスを一緒に旅行している。ある夜、二人はビーチの近くの小さな小屋に宿泊していた。二人はふと、ここで関係を持ったらとても楽しいのではないか、と思いつく。少なくとも、とても新鮮な経験になるのではないかと。
ジュリーは既にピルを服用しており、マークも安全のために避妊具を付けた。二人は関係を持ち、とても楽しい時間を過ごしたが、今後はもうしないことも誓い合った。そして、その晩に起きたことは二人の間での秘密となり、この秘密のお陰で二人はより親密な思いすら持つようになった。
原文は J.Haidt (2001) "The Emotional Dog and Its Rational Tail" (参照)
ここで、教授からの呼びかけ入る。
「さて、二人がやったことが間違っていると思う人は手を挙げて」
見渡す限り、全員が挙手。
「じゃ、君、そう思う理由を言って下さい」
『えーと、ほとんどの社会の中で、近親者との関係は良くないこととされているから。』
「いや、この事実は二人だけの秘密なんです。規範とかはここでは問題じゃない」
『じゃあ、近親者との間に子どもができると、異常な遺伝を生みやすいからですっ!』
「いや、二人は完ぺきな避妊をしているんだ。それも問題じゃない」
「んーー、、、二人は後で傷つくかもしれないからだ」
『いいえ、二人はとても楽しい時間を過ごして、大事な秘密を持ったことでさらに仲良くなりました』
「いや、えっと、、、その、、、」
断固として論破されまい、自説に欠陥があってもそれを受け止めることなく「そういう意見もありますね」と流す米国人学生が、ちょっと教授に屈した瞬間である。
この問題、二人の自由が大事だという前提がある限り、基本的に何も悪いことはしていない。ただ、ほとんどの社会においてタブーとされていることを堂々とやっているのだから、生理的な嫌悪感を覚えるのも事実。面白いのは、基本的に「そこには何か理由があるはずだ」と脊髄反射的な判断が行われてから、実際に論拠を探しに行く脳の構造である。
この順番は、通常「何らかの理由付けがあって、我々は判断をしている」という事実を簡単にひっくり返すものだ。元の論文にも書かれている表現を用いれば、「感情的な犬と理性的な尻尾」という感じで、実は感情が先にあり、それを裏付けるべく理性が働いているのでは、ということになる。仕事の話を持ち出すまでも無く、あらゆる局面でこれは正しいことが多い。
授業は、このような現象もあるのだから、直観的判断に頼ることには少なからぬ危険があるし、ちゃんと理由があって判断をしているのか、気をつけましょう、と伝えて終わった。割と一般的なTake awayであるにも関わらず、全員がその内容を体感でき、中々効率的なものだと感心した。事前課題の参考文献にSunstein(Nudgeの共著者)のヒューリスティックに関する論文が挙げられていたこともあり、これらをしっかりと読めば、自らの行動を律せるようにもなるんだろうなあ、と思うくらいに。平たい言葉で言ってしまえば、誰にでも良く分かる授業だった。
ビジネススクールに来るエリートの中に、古典や哲学者の名前を引用できる人は驚くほど少ない。よく、欧米の知識エリートは云々、という言い方が国内ではなされるけれど、少なくともスタンフォードGSBは例外であり、むしろセンター試験で一通り触れている人の方が、この哲学という分野の知識は圧倒的に上なのではないか。無論、ちゃんとやっている人の習熟度は凄いのだろうけれど(参照)。
しかし、その状況を受けて開き直った上で、「使える倫理」を教える姿勢には、日本にも十分活かせるプラグマティズムを感じる。個人主義の中での倫理の大切さが、ちゃんとボトムラインとしての効果を持つように、何だか教育機関として万全の保険を与えているような印象を持った。同時に、ビジネススクールの中で、倫理も立派な売り物になるのだ、ということも体感した。
No comments:
Post a Comment