履修した全ての教科において、別々のスタディグループで課題をやるという展開になっている。新たな仲間、とまではいかないけど、前のグループ(参照)に加えて、第一印象の備忘録として新たな面々の概要を残しておきたい。
V:会計の授業で一緒になったインド人。IIT(インドからの留学生の大半はIIT出身、いまやGSBの外国人学生の出身校としては最大)を出て、リーマンの日本拠点でインターンをしていたので、割と日本の話をよく聞いてくれる。
K:秋学期の初めの頃、CATのクラスでも一緒だった彼女に元の勤務先を聞くと、Agencyという答えが返ってきた。政府系機関とか官庁なのかな、と思っていたらなんとCIA。情報を集めてまとめて、文章を編集する、という一連の作業がすごくよくできる。
J:韓国でコンサルをしていた女性。話をまとめたり、MTGを効率よく進める、というのが板についていて羨ましい。英語もかなり堂々と話せる。
B:ブラジルのPEファンドから来た、元弁護士。彼のいたファンドの累積パフォーマンスは数千パーセントらしく、投資しないのはアホだとしきりに言ってくる。ちなみに、ブラジルでは弁護士の仕事はあんまり儲からないらしい。
P:ウイイレ好きで、GSBの学年では唯一のスリランカ人。GSBにくる直前に子どもが生まれたものの、奥さんとは別に一人暮らし中。工学系バックグラウンドから米国でPEファンドに勤めていた。
R:スタンフォード学部卒の韓国人男性。来る前は本国で4年ほど勤務、多分将来のプリンスなのだろう。割と堂々としているのだけど、ちょっと抜けた感じもあって好感が持てる。
B:エクセルの達人で、かなり頑固な元バンカー。ちなみに、GSBでは中々純粋に「投資銀行だけにいた」という人に出会えていない。ずっとバンカーで、多分年下のアナリストを相当詰めてたのかもしれないけど、こっちが書いた答えが不十分だったりすると、かなり遠慮のない指摘の仕方をしてくる。
I:元コンサルタント。中々チームが割り当てられるまでは性格が読めなかったけど、手際よく課題をこなしてくれる。
C:元PEファンドから、政府特命のGM再建チームに、唯一の若手として参加。頭のキレから、説得力の強さ、フランクな物言いまで、何だかとんでもないモンスターが自分のチームにいる、という感じ。
P:プリンストン大の基金運用をやった後、経済諮問会議でマンキューの助手をやり、海兵隊で諜報隊員を勤めていた。割りと初期からウマが合って、色んな話をしたのだけど、いざ何かExecutionしないといけなかったり、強引な意思決定が必要なときには、凄い馬力で説得してくる。NPO活動も自分でやっていて、アフリカの子どもの教育機関を設立している。
最後のCとPは、まさに今まで想像したこともなかったような優秀な人たち。こっちはタダの日本事情と経済・ファイナンスオタクというだけなのに、何だか仲良くさせていただいている、という気分になってくる。色々ストレスがたまることも多いチームワークながら、こういった人たちとディープに言い争ったり、譲歩したりすることができるのは、単に運が良かった、としか言いようがない。
2010/01/22
2010/01/13
本質を考えるということ(MBAとリベラル・アーツ)
GSBには、Student-blastと呼ばれる、参加者の誰もが送付可能な、(ほぼ)全員配信のメーリングリストがある。毎日数十通送られてくるその中身は、明日午前車を貸してくれだの、誰かシスコに知り合いはいないかだの、どうやってスピード違反チケットを減免するかだの、と様々。そして、たまには結構役に立つ記事が送られてきたりする。
先日、送られてきたNY Timesの記事は、今のカリキュラムの空気感を代表するものだと感じた。
Multicultural Critical Theory. At B-School?
http://www.nytimes.com/2010/01/10/business/10mba.html
文中に以下の表現がある。
Learning how to think critically — how to imaginatively frame questions and consider multiple perspectives — has historically been associated with a liberal arts education, not a business school curriculum, so this change represents something of a tectonic shift for business school leaders.
(意訳)クリティカルに思考すること―問題の枠組みを想像し、複数の立場から検討すること―は、従来はリベラル・アーツ教育の担当する範囲であり、ビジネス教育の範疇の外にあるもの、とされてきた。(クリティカル思考への注力は、)ビジネス・スクールの地殻変動を代表する動きといえる。
本質をちゃんと考えよう、なんてことは、何というか当たり前過ぎて、言っている方が恥ずかしくなってしまうようなもの。ただ、それだけに、おざなりな扱いを受けることも多いし、青臭いといわれてしまったり、○○の世界では通用しない、と言われたり。
もちろん、本質をしっかり知ってるだけでは、何もできない。本質を知った上で、そのシステムの中でどんな妥協が行われているのか、どこにパワーバランスがあるのか、何がトレンドなのか、地道にプロとしての理解する研鑽があってこそ、やっと何か食い扶持になるものが生まれてくる。そして、それも破壊的な環境変化・イノベーションで一気に置き去りされてしまったりする。
金融危機の戦犯輩出制度とすら形容されるMBAがこういった要素を取り上げる理由には、結構スタンドプレーもあると感じる。元々、結構クリティカルシンキングが重要という発想法がいくつかの学校で目立っていた中で、「偽物のビジネスを見抜く目を養う」というのはある意味経済危機に便乗した商法ともいえるのかもしれない。でも、unprecedentedという号砲の下に何でもありの発想が跋扈する中、これを本気でやってくれるのは大変ありがたいことと感じている。
と、言い切ってしまったが、シビアな秋学期を経て、実はさほどクリティカルな思考のレベルが上がったとは、思えていない。一朝一夕のものではないことは、コースの中でも繰り返し強調されていたし、まさにその通り。その上で、しっかり分かったこととしては、これも青臭いのだけど;
1)重要な問題に、そう簡単な解はない
2)変化を起こせる人は、ちゃんと勉強し、悩んでいる
という2点。よって、何だか勉強する気がより強まったというか、同じ問題や、授業や、ビジネスリーダーの平凡な意見の中に、より学べるポイントがあるのではないか、と読み取る耐久力が付いたような気がしている。同時に、その延長線上で、継続することの重要性と、やっぱりちゃんと教科書を読んでいないとダメだ、という危機感を持った。教科書を読むって、学部時代には重視してたけど、どうしても仕事だと後手後手に回りがちだった。個人的に、この基礎をちゃんと思い出せたことは大きい気がしている。きっと、他の学生にとっても、その人なりの「本質の考え方」があって、秋学期を通じて、それを復習したことが学びになってるのだろう。
ちなみに引用文中にあった、ビジネススクールでのリベラル・アーツ的教育への歩みは、どれだけ進んでいくのだろうか。文中にもあるようにChicagoとTorontoといった間で、必修科目としての扱いに二極化が起きるのかもしれない。Stanfordも後者のグループに属していくのだろう。ただ、リベラル・アーツ的な教育は、学部時代に徹底してやるべきものだ、という見方もあると思う。自らの思想のベースは、MBAのレベルになって確立するのは正直遅いのだろうし、MBAでのそういった教育の役割は、「復習」に徹するべきなのかもしれない。復習を早めにしっかりやる、という位置づけの中では、GSBの秋学期のカリキュラムというのは、当事者からは忙しすぎる/色々ありすぎると不満も多いけど、割と整合的にできているのかもしれない、と感じた。
一言余計に、日本への示唆を考えると、教養、という言葉で括られる学部は、より専門的な学部に比べてどうしても軽視されている気もするし、違う名前であっても、社会科学の中で正しい統計の扱い方がなされていなかったり、何だか空理空論の泥仕合のようなことも多かったりするし。
米国でリベラル・アーツが、開拓者時代のリーダーの自律や、「自由」というテーマをどうやって取り扱うのか、といった問題意識を持っていたことに比べると、どうしても日本ではその必要性自体が認識しにくいのだろう。ただ、今の米国のような「迷えるとき」、に指針になる、という芯の強さは、何事にも代えがたいものだと感じる。
このことは強く羨むべきだ。とあるスタンフォードPh.Dの方の本選びのセンスには、基本を理解する気が無いという、底なし沼の様な絶望感を感じた(参照)。日本育ちの人が海外で教育を受けるときには、カリキュラムの中でのリベラル・アーツの扱いをじわじわと学習することができることも、メリットになるのかもしれない。
先日、送られてきたNY Timesの記事は、今のカリキュラムの空気感を代表するものだと感じた。
Multicultural Critical Theory. At B-School?
http://www.nytimes.com/2010/01/10/business/10mba.html
文中に以下の表現がある。
Learning how to think critically — how to imaginatively frame questions and consider multiple perspectives — has historically been associated with a liberal arts education, not a business school curriculum, so this change represents something of a tectonic shift for business school leaders.
(意訳)クリティカルに思考すること―問題の枠組みを想像し、複数の立場から検討すること―は、従来はリベラル・アーツ教育の担当する範囲であり、ビジネス教育の範疇の外にあるもの、とされてきた。(クリティカル思考への注力は、)ビジネス・スクールの地殻変動を代表する動きといえる。
本質をちゃんと考えよう、なんてことは、何というか当たり前過ぎて、言っている方が恥ずかしくなってしまうようなもの。ただ、それだけに、おざなりな扱いを受けることも多いし、青臭いといわれてしまったり、○○の世界では通用しない、と言われたり。
もちろん、本質をしっかり知ってるだけでは、何もできない。本質を知った上で、そのシステムの中でどんな妥協が行われているのか、どこにパワーバランスがあるのか、何がトレンドなのか、地道にプロとしての理解する研鑽があってこそ、やっと何か食い扶持になるものが生まれてくる。そして、それも破壊的な環境変化・イノベーションで一気に置き去りされてしまったりする。
金融危機の戦犯輩出制度とすら形容されるMBAがこういった要素を取り上げる理由には、結構スタンドプレーもあると感じる。元々、結構クリティカルシンキングが重要という発想法がいくつかの学校で目立っていた中で、「偽物のビジネスを見抜く目を養う」というのはある意味経済危機に便乗した商法ともいえるのかもしれない。でも、unprecedentedという号砲の下に何でもありの発想が跋扈する中、これを本気でやってくれるのは大変ありがたいことと感じている。
と、言い切ってしまったが、シビアな秋学期を経て、実はさほどクリティカルな思考のレベルが上がったとは、思えていない。一朝一夕のものではないことは、コースの中でも繰り返し強調されていたし、まさにその通り。その上で、しっかり分かったこととしては、これも青臭いのだけど;
1)重要な問題に、そう簡単な解はない
2)変化を起こせる人は、ちゃんと勉強し、悩んでいる
という2点。よって、何だか勉強する気がより強まったというか、同じ問題や、授業や、ビジネスリーダーの平凡な意見の中に、より学べるポイントがあるのではないか、と読み取る耐久力が付いたような気がしている。同時に、その延長線上で、継続することの重要性と、やっぱりちゃんと教科書を読んでいないとダメだ、という危機感を持った。教科書を読むって、学部時代には重視してたけど、どうしても仕事だと後手後手に回りがちだった。個人的に、この基礎をちゃんと思い出せたことは大きい気がしている。きっと、他の学生にとっても、その人なりの「本質の考え方」があって、秋学期を通じて、それを復習したことが学びになってるのだろう。
ちなみに引用文中にあった、ビジネススクールでのリベラル・アーツ的教育への歩みは、どれだけ進んでいくのだろうか。文中にもあるようにChicagoとTorontoといった間で、必修科目としての扱いに二極化が起きるのかもしれない。Stanfordも後者のグループに属していくのだろう。ただ、リベラル・アーツ的な教育は、学部時代に徹底してやるべきものだ、という見方もあると思う。自らの思想のベースは、MBAのレベルになって確立するのは正直遅いのだろうし、MBAでのそういった教育の役割は、「復習」に徹するべきなのかもしれない。復習を早めにしっかりやる、という位置づけの中では、GSBの秋学期のカリキュラムというのは、当事者からは忙しすぎる/色々ありすぎると不満も多いけど、割と整合的にできているのかもしれない、と感じた。
一言余計に、日本への示唆を考えると、教養、という言葉で括られる学部は、より専門的な学部に比べてどうしても軽視されている気もするし、違う名前であっても、社会科学の中で正しい統計の扱い方がなされていなかったり、何だか空理空論の泥仕合のようなことも多かったりするし。
米国でリベラル・アーツが、開拓者時代のリーダーの自律や、「自由」というテーマをどうやって取り扱うのか、といった問題意識を持っていたことに比べると、どうしても日本ではその必要性自体が認識しにくいのだろう。ただ、今の米国のような「迷えるとき」、に指針になる、という芯の強さは、何事にも代えがたいものだと感じる。
このことは強く羨むべきだ。とあるスタンフォードPh.Dの方の本選びのセンスには、基本を理解する気が無いという、底なし沼の様な絶望感を感じた(参照)。日本育ちの人が海外で教育を受けるときには、カリキュラムの中でのリベラル・アーツの扱いをじわじわと学習することができることも、メリットになるのかもしれない。
2010/01/08
冬学期始まる
1月4日から授業は開始。GSB一年生は基本的に一年間、割と固定されたコースワークをこなすため、内容の毛色はさほど変わらないが、クラスがリシャッフルされた状態で始まるので、割と新鮮な思いで学校に通っている。履修している科目は以下。
・組織の経済学
・Eコマース
・マーケティングと競争環境
・会計学
・確率データと意思決定
これらは全て、基礎的な授業の初級・中級・応用のいずれかとして位置付けられているのだが、組織の経済学(ミクロ経済学の応用コースに相当、英語名はEconomics of Organization)の履修内容には驚かされている。(以下、経済学用語に溢れている点ご容赦下さい)
始まる前は、ミクロ経済学の応用コースであれば、不完全競争のおさらいをやって、契約理論の枠組みを使って雇用体系とかの良し悪しを考えたり、産業組織論のネタとかを扱うのだと思っていた。しかし、全然レベルが違った。
授業の初回から、不均一な財の取引メカニズムの質をどうやって判定するのか、という課題が課されて、皆あーでもないこーでもないと、「絶対に完全な解がない」問題に対して右往左往。二回目の授業(同じ週の木曜)の課題では、同じ会社の中でエンジニアを貸し出すマーケットの取引メカニズム(貸し手と借り手の情報の非対称性等、意地悪な前提が複数ある)を考えて、その欠点と共にプレゼンせよ、といった課題が出ていて、何だか経済学の修士課程に飛び入り参加してしまったような感慨に包まれている。正直なところ、今までの二回のぺースがこのままの2年間続けば、(ちゃんと付いていければ)メカニズム・デザインのPh.Dが取れてしまうんではないかと思ってしまうくらい。
教授は、ロバート・オーマン(参照)のイスラエルでの弟子で、これぞゲーム理論学者、という感じの人である(ちょっとクレージーな感じも)。学生時代に組織の経済学をバイブルにしていたので、元々楽しみにしていた授業ではあったが、予想外のレベルで好奇心をそそられている。
他の授業も、それなりにシビアな内容。Eコマースとかは、Salesforce.comからLinden labまで、ありとあらゆるシリコンバレー的企業のケースを網羅して、その競争優位をエクセルワークを通じて知るというもの。マーケティング(初級)は、企業経営モデルを動かして互いのチーム同志で競うというもの。会計学(応用)では、初回の授業でITバブル期のアナリスト不正が暴かれる過程を扱い、主要な「会計操作の素」を知るような構成になっている。
まだ始まって3日だが、秋学期の授業の多くがCEOとしての目線を鍛える内容であったのに対し、冬・春学期は「CFO、CIO、COO、マーケティング等の部門長、エンジェル投資家等の目線」を鍛えるパートになるのかもなあ、と今のところ感じている。結構ワークロードも重い(とりわけ、チームでやる課題が増えた)中で、今後どうなることやら。
・組織の経済学
・Eコマース
・マーケティングと競争環境
・会計学
・確率データと意思決定
これらは全て、基礎的な授業の初級・中級・応用のいずれかとして位置付けられているのだが、組織の経済学(ミクロ経済学の応用コースに相当、英語名はEconomics of Organization)の履修内容には驚かされている。(以下、経済学用語に溢れている点ご容赦下さい)
始まる前は、ミクロ経済学の応用コースであれば、不完全競争のおさらいをやって、契約理論の枠組みを使って雇用体系とかの良し悪しを考えたり、産業組織論のネタとかを扱うのだと思っていた。しかし、全然レベルが違った。
授業の初回から、不均一な財の取引メカニズムの質をどうやって判定するのか、という課題が課されて、皆あーでもないこーでもないと、「絶対に完全な解がない」問題に対して右往左往。二回目の授業(同じ週の木曜)の課題では、同じ会社の中でエンジニアを貸し出すマーケットの取引メカニズム(貸し手と借り手の情報の非対称性等、意地悪な前提が複数ある)を考えて、その欠点と共にプレゼンせよ、といった課題が出ていて、何だか経済学の修士課程に飛び入り参加してしまったような感慨に包まれている。正直なところ、今までの二回のぺースがこのままの2年間続けば、(ちゃんと付いていければ)メカニズム・デザインのPh.Dが取れてしまうんではないかと思ってしまうくらい。
教授は、ロバート・オーマン(参照)のイスラエルでの弟子で、これぞゲーム理論学者、という感じの人である(ちょっとクレージーな感じも)。学生時代に組織の経済学をバイブルにしていたので、元々楽しみにしていた授業ではあったが、予想外のレベルで好奇心をそそられている。
他の授業も、それなりにシビアな内容。Eコマースとかは、Salesforce.comからLinden labまで、ありとあらゆるシリコンバレー的企業のケースを網羅して、その競争優位をエクセルワークを通じて知るというもの。マーケティング(初級)は、企業経営モデルを動かして互いのチーム同志で競うというもの。会計学(応用)では、初回の授業でITバブル期のアナリスト不正が暴かれる過程を扱い、主要な「会計操作の素」を知るような構成になっている。
まだ始まって3日だが、秋学期の授業の多くがCEOとしての目線を鍛える内容であったのに対し、冬・春学期は「CFO、CIO、COO、マーケティング等の部門長、エンジェル投資家等の目線」を鍛えるパートになるのかもなあ、と今のところ感じている。結構ワークロードも重い(とりわけ、チームでやる課題が増えた)中で、今後どうなることやら。
2010/01/01
2009/12/22
GSB Dinner on breakへのご参加ありがとうございました
お陰さまで沢山の方にご参加頂くことができました。ありがとうございました。引き続き何かございましたら、ttaki あっとstanford.eduまでどうぞ。
2009/12/09
初めての、ラスト・コメント
First Quarterもいよいよ終わり。
MBAでは結構あることのようだが、いくつかのコースの最後の授業では、熱のこもった人生論が教授から語られた。ハーバードのは本にもなっている(参照)。さすがに一コマ割かれたわけではなかったけれど、グローバルのクラスでの話は強く記憶に残るものだった。
グローバル経営論のバーネット教授はユーモアたっぷりで、熱のこもった展開をする方で、いつも週の初めから元気をもらっていた。授業の内容は、米国人の目線から、他国でビジネスをすることの障壁や、どんな新しい人生観が求められるのか、という点を突き詰めるものであった。正直なところ、かなり米国目線の内容であった気もするが、ライス女史の授業や、パンストの話(笑、参考)とかも含めて、自分にとっても発見と刺激がある経験だった。
バーネット氏は最後の授業をこう始めた。
By the way, why are you guys here? I'm asking seriously!
(で、君たちなんでここにいるの?いやマジで。)
級友から、「学ぶため」「ネットワーク」「就活」といったテーマが一しきり出尽くしてから、だんだんと質問は具体的にこのコースはその欲求にこたえられたのか、といった展開に。
「ケースの中で、中国の扱いが偏見に溢れてて厭だった」、「結局Different country is different以外よくわからなかった」といった超正直なオピニオンも出た。これらの苦情にも近いコメントに真摯に答える教授の姿はカッコ良く、生徒の人望を集める理由が再度良く分かるものだった。国と国の間の価値観の違いなど、確かに四半期で「教える/教わる」ことなどできない。
図に乗って自分も発言してみる。
「アジアには、無知の知って言葉があるんですが、この3カ月で、それがようやく体感できたような気がします。」
するとバーネット氏、腕を組んで凍りついてしまった。20秒ほどうつむいてから一言
「その言葉を、初めて聞いた。実際にどんな経験があったのか、教えてくれないか。」
「小さいころロンドンに住んでて、日本に帰国してから、仕事をしている時も、米国人もどことなく同じような人たちだろう、と思ってた。だけど、実際にちゃんと身を投じてみると、日常会話や若者の流儀も違うし、こっちの英国人はカリフォルニア文化に結構疎外感も感じてたりするし… グレーヴィーの味(参照)もかなり違う」
しょうも無いオチをつけたので、案外身も蓋もない話だと分かったのかもしれないけど、何だか納得してもらえた様子だった。
話は逸れるが、MBAの教授のコミュニケーション能力の高さには、いつも驚く。前日までは何も読み込んでいない学生の未熟な会話を、徐々にクラスの中で伝えたいメッセージやフレームワークの理解へと落とし込んで、かつClass Participationを高めるインセンティブを振りまくのは大したもの。学期の初めから、徐々に築かれる先生と生徒の信頼感の良さというのは、双方向の会話が少ない日本の大学では中々感じられなかったことで、どことなく豊かな気持ちになった。
バーネット氏は更に、授業の終盤、またも独白を始める。
「スタンフォードからの合格レター、いや、最近はe-mailか、を受け取った時に、君たちはたぶん凄く嬉しかったのだと思う。だけど、20年後くらいには、それが『普通ではない』人生に君たちを招いてしまったものとして、複雑な思いで見ることになるかもしれない」
「GSBのマントラは、Change the worldであり、この学校に属してしまった以上、君たちはこの呪縛から離れることはできない。「すばらしき平凡」という考えを、心の片隅で必ず疑うことになる。平凡は結構いいものなんだけどね。」
「呪縛から逃れられないからこそ、真剣にどうやったら『正しき奇人(correct non-conformist)』になれるのかにこだわって欲しい。組織や、ひいては時代を変えられるのは奇人しかいない。ただ、奇人は往々にして『単に間違ってるだけ』ということも多い。それにはならないように最善の努力をしつつも、やっぱり『みんなと同じ考えで、結果的に正しかった』という事実に満足しないで欲しいと思う。」
「こうやって口で言うのは簡単だけど、実行したら、本当につらい人生になったりする。本授業では、グローバルな見方の中で、たとえばステレオタイプが生む怖さや、判断のフレームワークを持つことの大切さを伝えてきたけど、そういった助けがあることも、マントラを唱えてしまったGSBの贖罪みたいなものだから、ねえ。」
このあと、何というかぼそぼそと、暗くも力強い話が続いたのち、ふと気づいたように生徒を見まわし、「あ、これで終わりです」と打ち切る。生徒はスタンディングオベーション。
何だか、授業というよりも、発想や創造が活発に行われる場、というのを見せてもらっている気分になった。
First Quarterは、もう本当に慣れないし、文献も読めてないし、ケースも片手間でしか準備する時間がないし、寝られないし、しゃべれないし、同級生の言うことも聞き取れないし、と、時間・能力面でのないないづくしを実感する3カ月だった。2年間ではあと5回、Quarterがあるが、二年生になるころには、もう少し楽になるとは聞いている。とりあえず、「頭でっかちだった自分にとって」たしかにLife Changing, Challenging, InspiringだったQuarterを乗り切った自分を、あんまり調子に乗らない程度に褒めておいてあげたい。
MBAでは結構あることのようだが、いくつかのコースの最後の授業では、熱のこもった人生論が教授から語られた。ハーバードのは本にもなっている(参照)。さすがに一コマ割かれたわけではなかったけれど、グローバルのクラスでの話は強く記憶に残るものだった。
グローバル経営論のバーネット教授はユーモアたっぷりで、熱のこもった展開をする方で、いつも週の初めから元気をもらっていた。授業の内容は、米国人の目線から、他国でビジネスをすることの障壁や、どんな新しい人生観が求められるのか、という点を突き詰めるものであった。正直なところ、かなり米国目線の内容であった気もするが、ライス女史の授業や、パンストの話(笑、参考)とかも含めて、自分にとっても発見と刺激がある経験だった。
バーネット氏は最後の授業をこう始めた。
By the way, why are you guys here? I'm asking seriously!
(で、君たちなんでここにいるの?いやマジで。)
級友から、「学ぶため」「ネットワーク」「就活」といったテーマが一しきり出尽くしてから、だんだんと質問は具体的にこのコースはその欲求にこたえられたのか、といった展開に。
「ケースの中で、中国の扱いが偏見に溢れてて厭だった」、「結局Different country is different以外よくわからなかった」といった超正直なオピニオンも出た。これらの苦情にも近いコメントに真摯に答える教授の姿はカッコ良く、生徒の人望を集める理由が再度良く分かるものだった。国と国の間の価値観の違いなど、確かに四半期で「教える/教わる」ことなどできない。
図に乗って自分も発言してみる。
「アジアには、無知の知って言葉があるんですが、この3カ月で、それがようやく体感できたような気がします。」
するとバーネット氏、腕を組んで凍りついてしまった。20秒ほどうつむいてから一言
「その言葉を、初めて聞いた。実際にどんな経験があったのか、教えてくれないか。」
「小さいころロンドンに住んでて、日本に帰国してから、仕事をしている時も、米国人もどことなく同じような人たちだろう、と思ってた。だけど、実際にちゃんと身を投じてみると、日常会話や若者の流儀も違うし、こっちの英国人はカリフォルニア文化に結構疎外感も感じてたりするし… グレーヴィーの味(参照)もかなり違う」
しょうも無いオチをつけたので、案外身も蓋もない話だと分かったのかもしれないけど、何だか納得してもらえた様子だった。
話は逸れるが、MBAの教授のコミュニケーション能力の高さには、いつも驚く。前日までは何も読み込んでいない学生の未熟な会話を、徐々にクラスの中で伝えたいメッセージやフレームワークの理解へと落とし込んで、かつClass Participationを高めるインセンティブを振りまくのは大したもの。学期の初めから、徐々に築かれる先生と生徒の信頼感の良さというのは、双方向の会話が少ない日本の大学では中々感じられなかったことで、どことなく豊かな気持ちになった。
バーネット氏は更に、授業の終盤、またも独白を始める。
「スタンフォードからの合格レター、いや、最近はe-mailか、を受け取った時に、君たちはたぶん凄く嬉しかったのだと思う。だけど、20年後くらいには、それが『普通ではない』人生に君たちを招いてしまったものとして、複雑な思いで見ることになるかもしれない」
「GSBのマントラは、Change the worldであり、この学校に属してしまった以上、君たちはこの呪縛から離れることはできない。「すばらしき平凡」という考えを、心の片隅で必ず疑うことになる。平凡は結構いいものなんだけどね。」
「呪縛から逃れられないからこそ、真剣にどうやったら『正しき奇人(correct non-conformist)』になれるのかにこだわって欲しい。組織や、ひいては時代を変えられるのは奇人しかいない。ただ、奇人は往々にして『単に間違ってるだけ』ということも多い。それにはならないように最善の努力をしつつも、やっぱり『みんなと同じ考えで、結果的に正しかった』という事実に満足しないで欲しいと思う。」
「こうやって口で言うのは簡単だけど、実行したら、本当につらい人生になったりする。本授業では、グローバルな見方の中で、たとえばステレオタイプが生む怖さや、判断のフレームワークを持つことの大切さを伝えてきたけど、そういった助けがあることも、マントラを唱えてしまったGSBの贖罪みたいなものだから、ねえ。」
このあと、何というかぼそぼそと、暗くも力強い話が続いたのち、ふと気づいたように生徒を見まわし、「あ、これで終わりです」と打ち切る。生徒はスタンディングオベーション。
何だか、授業というよりも、発想や創造が活発に行われる場、というのを見せてもらっている気分になった。
First Quarterは、もう本当に慣れないし、文献も読めてないし、ケースも片手間でしか準備する時間がないし、寝られないし、しゃべれないし、同級生の言うことも聞き取れないし、と、時間・能力面でのないないづくしを実感する3カ月だった。2年間ではあと5回、Quarterがあるが、二年生になるころには、もう少し楽になるとは聞いている。とりあえず、「頭でっかちだった自分にとって」たしかにLife Changing, Challenging, InspiringだったQuarterを乗り切った自分を、あんまり調子に乗らない程度に褒めておいてあげたい。
2009/12/05
キワモノ期末試験:Executive Challenge
リーダーシップ・ラボの期末試験は、GSB一年生が47のチームに分かれて戦うExecutive Challengeである。
この企画、全世界から蒼々たる卒業生を呼んで、彼らを相手にハードな設定のロールプレーをする、というもの。学期の初めに聞いたときには恐ろしかったが、チームに支えられて精神力が鍛えられてきたせいか、割とリラックスして臨むことができた。
8人のチームは4×二人組に分かれ、それぞれ異なるケースに挑む。内容は以下の通り。
1.価格的には魅力がある買収案件を、強固に反対する株主に対して説得
2.電気自動車ベンチャーで製品スペックについて妥協することを、頑固な社内エンジニアと協議
3.突如クビになったCEOの地位を継いだ自分が、モラールの著しく低い役員にやる気を出させる
4.魅力的な技術を持ったベンチャーに、仲の悪いメンバーから構成される4人の幹部を全員ヘッドハントする
書いているだけでなんというか疲労感が出てくる設定だが、与えられた15分間の間に、ミーティングを初めて、最終的にコンセンサスを得ることが目的である。15分は圧倒的に短いと言わざるを得ず、自分のチームの成功率は50%。何ともハードだった。
ちなみに、採点はされるが、実際には出席点のみなので、安心してリスクを取った実験ができるようになっている。
自分の出たケース1は、M&Aの案件を、自分のヘッジファンド出身のRと説得するものだった。詳細はこんな感じ。
問題
学生二人が社長・会長を務める会社が破産状態にある製造業を買収することを決定。ただ、ターゲットはダイオキシン訴訟を抱えており、自社の株主のSRIファンドは強固に反対中。また、それとは別のヘッジファンドは自社をリクイデートすることに夢中。既に取締役会9名のうち5名の賛成を取り付けたが、あと2名必要な状況。15分で残り4名中、2名の賛同を得よ。
問題として書いてみると、「回答欄を埋める」という作業であれば、正直なんとでも書くことができる気がする。しかし、それを生身の人間に対して実践させ「怖い思いをさせる」というのは、重要なプロセスだと思う。
結果的に、自分たち二人は、金融用語に踊らされたというのもあって、人間的な説得をすることができなかった。開始3分で、もうちょっとフレンドリーかと思ってた審査員が牙を剥いて、「俺は納得してないぞ!」とキレちゃうのだから、英語力以前の、胆力みたいなのを試されている気すらした。15分が経過してからは、一転して親善モード。何がいけなかったか、どうすればよかったか、を7名の卒業生から逐一フィードバック頂く。中には、「こんな課題が自分の学生時代になかった」「俺もこれは無理だと思う」みたいなコメントも。審査員も、不動産ファンドの社長とか、上場前にグーグルの役員だった人とか、おっかない人たちだったこともあり、ここで得た教訓を、勉強となったと言わずして何と言おうか。。。
同様に他の3件のケースをこなした後、夜は500名強での懇親会。参加者の中には、Intuitの社長とかも来ていて、すごいものだと改めて感じる。懇親会の傍らにはネットワーキング用のブースもあった。
フレンドリーなコミュニティの付き合いというのは、簡単に言うことはできるものの、実際にこれだけのメンバーを集めたうえで、フランクな関係を簡単に実現しているのはすごいと感じた。そして、ここに入るために、多くの人が巨額の投資をしてきている。米国というのは階級社会的なのだなあ、と改めて感じる「期末試験」だった。
(参考)
昨年の模様はこちら
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