2010/06/26

Wimbledon 2010


午前8時に最寄りの駅に着き、大勢の観客と共に公園内の列に並んだ。今週のロンドンは暑い。パロアルトよりも強く感じられる日差しに照らされて、朝から目も疲れ気味。これから長い長い待ち時間が始まる。

ウィンブルドン・テニスでのチケット入手の方法は三通りある。企業枠、抽選枠、そして当日券の入手だ。当日券では、センターコート、第一コート、第二コートのそれぞれに500枚ずつのチケットが用意されるほか、約5000枚弱の入場券が発行され、入場券だけでも全部で19あるテニスコートの試合を自由席で楽しむことができる。勿論、フェデラー、ナダルといったビッグネームの試合はほとんどがセンターで行われるし、ロディックを見るにしても第一コートのチケットが必要だ。それらのチケットを求めて、抽選に漏れたファンは徹夜でテントを張って並ぶ。僕らは、その精鋭部隊には程遠い観光客なので、入場できればラッキーと考え、このお祭りの、できれば6000番目くらいのメンバーになりたかったのだった。

列に加わると、間もなく、厚紙の立派な整理券が配布された。しかし、番号は7030番台。早起きしたのになあ、と些かがっかりする。いったん、約6000人の入場制限が満たされると、ウィンブルドンから帰ったお客さんの数しか、中には入れない。これだと入場できるのはお昼以降、下手したら3時くらいだ。ただ、ここまで来た意地もあって、行列フェチの国民に交じり、芝生のラインに留まる。

待ち時間が長いイベントであっても、ウィンブルドンの行列管理は非常に気が効いていて、ストレスはあまり感じられない。大人数の運営スタッフが、ジョークもたっぷりに、てきぱきと行列客をさばいていく。整理券もすぐに配られるので、横入りも行われなず、大会公式の「行列のしおり」なるパンフレットが配られ、さらには「2010年大会の行列に私、並びました」、なるシールまでもが無料配布される。並んでいる最中からお祭り気分が始まるように、大会運営側の細心の注意が感じられる。うーん、これぞ行列好きの伝統だ、日本や自分の知っている米国では体験できない、と軽くうなる。

5時間近く、炎天下の中、アイスクリーム・スタンドやバーガー・スタンドとの往復で体力を補いつつ待つと、会場内へと列が進んでくれた。これでも、予定よりは早めだろうか。チケット売り場では、第二コートのチケットがまだあります、と伝えられる。どんな対戦カードが待っているのか分からない状態だったが、とにかく入手。

中に入り、まず駆け込んだのがストロベリースタンド。実は、ウィンブルドンに来るのは20年前以来となる3回目なのだが、以前はイチゴにありつけず、昔年の憧れが詰まっていたのだった。


さらに、小ぶりのピザをぱくつく。日陰の椅子を確保して、体力の回復に全精力を集中。
買ったチケットは運よく、最前列の席。万全の準備をしたのち、第二コートで行われた女子シングルス、男子シングルスの試合を、日射病になりかけては場外へと退散するかたちで見たのだった。
男子シングルスはメルツァーが出ていて、最初のセットを奪われつつも、お客さんにジョークを飛ばしたり、最後は余裕で勝ったりといった、いいプレーを見ることができた。

そして、同コートの第4試合、当日の目玉といえるカードが、ちょうど日差しも弱まってきた午後6時過ぎから始まった。ウィリアムズ姉妹のダブルス。


相手は、Macsinszky(スイス)とGarbin(イタリア)。


練習が始まった時点で、ウィリアムズ姉妹は、むしろ兄弟と呼ぶべきではないかという体躯の違いを活かし、身体の前に完全なバリアを作り、ほとんど体制を崩すことのない格の違いを見せつけていた。第一セットは、あれよあれよと言う間に、6-1で奪ってしまった。

しかし、第二セットには大きな違いが生まれた。ウィリアムズ姉妹のダブルスは、基本的にはウマの合ったシングルス選手が二人で、グランドストロークの乱れをどちらかがポーチで叩きこみに来る展開だったのに対し、瑞・伊のコンビはロブや、前衛への低めの制球という、教科書的な反撃に打って出た。その間の、ポイント間の連携や、ミスのない丁寧な攻め等、可能な限りの知略を尽くしたプレーが見物だった。ヴィーナスが数時間前まで別のシングルスに出ていたためか、些か集中力を欠いていた姉妹に対し、順調にサービスゲームをキープし、更にお互いにワンブレーク。瑞・伊コンビが6-5の30-40とセットポイントに至るまでの追い上げを見せた。会場も、一ポイントごとに集中して、息を呑む良い雰囲気に。
結局、最後はタイブレークを余裕でウィリアムズ姉妹が乗り切る形で試合が終わってしまったが、退場する二組に対し、会場はスタンディングオベーションで見送った。

スポーツの中でもテニスは、自分もかれこれ10年くらい、小さな頃からやっていたものだから、ジュニア時代からの練習環境や、天性のセンス、それらがもたらすメンタルタフネスの違いといった要素は厭と言うほどにも分かるものがある。それを通り越しても、最後のダブルスは、それに対抗する工夫と、その過程が生む感動を味わうことができた。このプロセスを敵味方で共有して、プレーヤー自身と周囲の、心理的な成長が同時に生まれることが、当たり前かもしれないけれどやはりスポーツの本当の目的である。W杯という、結果がすべてのコンテキストのイベントに数週間触れていて、危うくそのことを忘れそうになっていた。この大会を運営する多くの人と、炎天下の待ちに共に耐えてくれた家内に強烈に感謝してます。



1 comment:

  1. はじめまして!コメントにて失礼致します。鏑木崇之と申します。いつもブログを拝読しております。実は先日からSanJoseにステイしております。もしよろしかったらお会いさせていただき、stanfordでの生活やMBAのことなどをお聞きしできれば幸いと思いご連絡いたしました。
    私のメールアドレスはkbrgtkyk@ymail.comです。お返事いただけたら幸いです。

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