2011/01/31

日本の財政と、海外留学について

(加筆・修正しました)


日本国債の格下げを受けて、日本国内では財政のサステイナビリティの議論が再燃している。

今学期履修しているDuffie教授(*1)の言葉を借りるまでもないのだが、格付け会社の判断というのは、多分に事後的に行われるものである。正直なところ、それを見て、いまさら何か新しいことが起きたかのように考えるのは間違っているし、もっと日ごろから、そこそこ事情通のMBA学生なら誰でも知っている日本の債務問題については、真正面からの議論が行われるべきだと思う。

この話題、お花畑展開的には、今から経済に大きなインパクトを与えることなく、歳出を上回る歳入を確保し(もしくは経済成長により)、債務対GDPの比率を下げていくことが、本当の大筋になるはずなのだが、今の世の中でそれをしっかりと示せている人は、たぶんいない。なので、将来的には、昔から言われているような長期金利の上昇と、結果としての悪性インフレによって、解決が図られる、というのが、もはや平均的な見方なのではないだろうか。

インフレが起きる過程では、日本円は下落せざるを得ない。たとえば、債務対GDPを半分にするためには、物価は2倍に、円ドルレートは今の2倍になる必要がある(これでも落ち着いたケース)。そうすると、海外の大学院に通うための値段は、今から見ると2倍になる。あと、インフレが急速に進む中では、値上げのペースが物によって異なってくる。日ごろ使うもの(分かりやすい例が、トイレットペーパー)についてはすぐに値段が上がる一方、例えばパチ物のバッグとかは、そうは値段を上げられないだろう。実は、同じことは人材についてもあてはまるので、利用価値の高い社員と低い社員で、給料がだいぶ異なってくる可能性だってある(一社内では横並びかもしれないけど、会社間ではたくさん差が出てくるだろう)


さて、上述の展開を踏まえたうえで、日本にとって、海外留学が持つ意味について考えてみたい。



1)現在留学中の人たち

まず、日本から円建てで定額の送金を得ている人たち(奨学金の類に多い)は即座に困ることになる。大急ぎで、こちらでの生活費を補う手段を探す必要が出てくるだろう。奨学金の財団の中でも、体力があるところは情勢を見て金額を増やしてくれるかもしれないが、すぐにその決断が行われるかはわからない。場合によっては、困っている修士生に対して、地域の日本人会等でカンパを募るようなこともあるのかもしれない。

ただし、Ph.Dを取りに来ている学生の場合、2年目からはTAやRA、フェローシップ等の名目で生活費や授業料の免除、といった形で生活費の心配は少なくなることが多い。この立場にいる人たちにとっては、さほど大きな心配はなく、むしろ後述する理由により「留学しててよかった」という結果が訪れる可能性も高い。

MBA学生(私費留学)の場合
大学からの授業料の免除等の恩恵に与ることはあまりない。したがって、こちらでの授業料の借金がドル建てで行われる以上、日本に帰って円建てのお給料が支払われる会社で働くと、返すのにかかる期間が(2倍とはならないだろうけど)当分は長くなるかもしれない。これは、その業界の賃金構造や、物価に連動してどれくらい賃金上昇が行われるのかにもよるのだけど、目先は結構苦しくなることになるだろう。
一方、海外で働く気満々の場合は、この事態はその方向性を決める最後の一押しとすらなりうる。日本国内の経済が混乱し、賃金もさほどは早く対応してこない中で、ドルやアジアの通貨等で働けば、もともと発生している借金に対しては、ある程度想定どおり返済をすることが可能になる。



2)留学し終わって、日本国内でドル建ての債務を抱えている人たち

結論から言うと、一番大きな被害を受けることになるのかもしれない。日本で円建ての給料をもらい、ドル建てで返済をしている人たち。単純に、円ベースで見た借金の額が増えることになる。もちろん、海外で職を見つけられるならば別の話ではあるが、学生のジョブサーチに比べれば選択肢は格段に少ないのは事実である。なので、とりあえず円がかなり強い今のうちに、できるだけ早期の返済をお勧めするほかない…


3)これから留学しようとしている人たち


本記事で一番触れたいのは、この層について。
実は、インフレが来つつも、国内の教育費や賃金の調整がゆっくりになると想定される中では、下記の変化があると思われる。
  1. 初期の反応として、一般的な留学生の数は減るであろう。日本国内での、海外留学向けに貯められていた資金の購買力は減少するし、財団が奨学金を出す体力も減ることになる(資産運用次第ではあるが)。
  2. 中長期的には、海外に向けて飛び出す若者は増えると思われる。財政危機を迎えた国というのは、生きていてもつらいものだ。現役世代に対して、増税、高金利、社会保障費の厳しい見通しという苦悩が増える中で、日本で生きていくメリットは、絶対水準では下がらざるを得ない。よって、才能がある人は海外に出るだろうし、おそらくしばらくは戻ってこないだろう。現在留学している人たちも同様で、帰ってもあまり楽しくなさそうな人生と、キャリアを最も磨くべき時期に日本市場に向かうくらいなら、こちらに留まるだろう。このような選択の結果、途上国の教育問題でよく課題になる、Brain Drainが本格化することが、考えられる。既に起きているフシもあるが、日本でもっとも優秀な層から、人材は逃げていくことになる(*2)。
  3. 2.の効果が、日本国内の社会の利益になるのかは、これからの社会の変化次第といえる。留学生が増えること自体は、在外人の視点からはマシに思える状態なのかもしれない。ただし、中国人学生や、インド人学生が見せているような、「ウミガメ」現象(母国への人材の還流)が発生して、もっとも優秀で、海外で研鑽を積んできた層が、日本を再度盛り立ててくれるかは疑問である。中印の場合は、まだ国に伸びしろがたくさんがるが、日本の場合は成熟国かつ、(産業にもよるが)ビジネスの参入障壁が色んな所で高い、ということもあって、期待しにくい。
  4. 結局のところ、3.の問題を解決するには、優秀な人材に報い、例えば20代、30代のうちから大会社の役員級の裁量(と報酬)を与えられる環境が生まれるしかない(勿論実績を示せた場合)。今、日本にある選択肢は、外資系企業やベンチャー企業等、限られているのが実情で、主流の企業でもこれを行わない限り、日本の底力の変化を見ることはなかなか難しい。
日本が困窮する中で、それを立て直せる人たちに、日本は旧来の世界観からしたら「媚びる」制度を受容する必要がある。
「海外で活躍できる」優秀な層、というのは、いわゆる税制に対するブラックジョークである「逃げられないから課税される」層の対極にいる人たちだ。一流の人材が集まって努力するよりも、稀代の天才が生むことができるものの方が重宝される社会の中では、この層をないがしろにはできないし、むしろ国家のお客さん、とすら言える。一番それを露骨にやっているのはシンガポールだし、アジア各国にある特区だってそうだし、シリコンバレーだってその一類型といえる。本物のタレントを、日本に引きよせる制度を作れるかどうかが、財政危機後に日本がプレゼンスある国になれるかを決める、唯一の要素である気がする。

また、今世紀も来世紀も、資源の無い日本には「世界に売れる」ものを作るという宿命がある。世界の経済成長の大半を新興国が担う中、製造業に求められるニーズも、「日本の技術・消費者に育てられた」では厳しい。幸いにも、新興国のニーズや制度の標準を決める人たちは、先進国に学びに来ている人たちであり、稀代の天才じゃなくっても、こういう人たちとお知り合いであり、いざとなったときに広い意味での外交ができることが、国の戦略として必至であると感じる。

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*1 GSBではあまり多くは無い金融市場そのものを扱うDebt Marketsを担当する名物教授。ただし、彼自身がムーディーズの取締役をかねているので、上記は業界的水準では常識だが、一般的には利益相反も含んだ発言といえる。

*2 スタンフォードの場合なら、多くのケースでMBAの留学費用は大学経由でCo-signerなしで借りることができる(参照)。Ph.D志向であっても、頭脳の自信さえあれば、これも奨学金等を駆使して、なんとしてでも一年間食いつなぐ手段は確保してくるだろう。研究者の場合、ポストも予算も限られた日本国内の研究環境に比べれば、最終的に競争に負けるリスクを取ってでも、こちらに来る理由は多い。
なお、研究者向け海外留学については、ぜひぜひ米国大学院学生会(リンク)へ


(本ブログに記載された内容は私個人としての意見・見解であり、所属する組織の意見・見解と一致するものではありません )

2011/01/24

人は見た目が九割、場合によっては十割



今学期、座っただけで気分が高揚する授業を履修している。目の前の講師は、資産額二千億円超にして、まだ三十代の投資家。後述する理由のために、名前は伏せておこう。調べればすぐわかる。

彼の教える内容は主権について。
今週のテーマは貨幣とバブルについてであり、南海泡沫事件や金本位制、ネットバブルの話が扱われた。歴史や人類の根本欲求に照らし、もし国を作るとしたら、これらの要素をどう考えるべきか。このテーマに沿って、授業はエネルギッシュに進行していた。

そして、彼本人のバブル体験談。彼の、いまや大変有名なベンチャーが韓国に行った時、あまりの投資需要の強さでわらわらと色んなファミリーが接近し、帰りの空港までの間だけでも三人から投資させて下さい、と拝まれまくったのだそうだ。空港でもその人たちが勝手にファーストクラスのチケットを購入、帰ったら何もサインしていないのに五億円が口座に振込まれていた、などなど。

さて、彼の授業に登壇する際のファッションは決まっていて、開けすぎだろ、と思う程の胸ボタンを開けたシャツとスーツ。若干紅潮した顔が、迫力を伝えてくる。しかし、木曜日の授業の間、私は全くその迫力を感じることがなかった。授業開始後、30分ほどが経過したときに気づいたのだが、














チャックが全開である。




男性諸兄は分かるだろうが、
チャックというものは左右というよりも上下構造になっており、座ったりしない限り、開いていても、本人から見て右側の人以外には気付かれにくい。私が座していたのはまさにその右サイド。
横に座る学生の目線は講師の上半身に集中しており、我々の後ろにも学生はいない。つまり、気づいているのは、クラスで自分だけ、という可能性が濃厚である。

チャックの中からは、何というか自己主張の強いパーツ(太ももなど)が顔を覗かせていた。しかし、手を挙げて指摘するわけにも行くまい。何かメモを渡せないかとも画策したが、そのタイミングも訪れることはないだろう。
それにしても、自信満々のビジネスマンがエネルギッシュに話をしていて、チャックが全開というのは、想像を超えて笑いを誘うものだ。こらえるのがつらい。もう何を喋っていても連想がチャックに及ぶ。そして、金融政策(*1)の話をされている時に、その時、は来た。彼が口走った言葉は

Discount Window

日本人以外には通じない、社会の窓という表現とのコラボ。何をディスカウントするの、とか考えながら悶絶しそうだった瞬間に授業が終わった。
授業後、頃合を見て言おうと思ったら、彼はそそくさと帰ってしまった。



ということで、男性はプレゼンの前に社会の窓の確認をしましょう、というお話でした。



*1 なお、まともに面白かった話として、バブルの引き締めを行う中央銀行総裁ほど厳しいポジションはない、という話もありました。私も笑いをこらえつつ、日本でも未だに総量規制をタイムマシンで止めようとする映画がありますよ、みたいな発言をそういえばしていた。

2011/01/14

新キャンパスお目見え

新キャンパスの利用が先週から部分的に開始。私の場合、GSBの授業4コマのうち、1つのみがここなので、あんまり生活は変わりません。むしろ、駐車場が適切な距離にないので、苦労しているような感じ(*1)。


当初はもっと早くできるよ、といわれ、金融危機で遅延されて、下手したらお目見えできないんじゃないか、とまでいわれていたのですが、無事、ここで授業を受けることが出来た。


まだ、部分的に完成しているだけなので、まだ教室と小さなスナックコーナーの利用に限られているところです。正直なところ何が違うのか、といわれると、さほどはない(一部のミーティングルームを除く)わけですが、まあ、うれしいかな、という程度。椅子はロースクール(部屋によっては全てアーロンチェア)に比べれば普通だし、別に教壇と椅子、ホワイトボードという関係はあまり変わらないわけであります。

なお、たまに、受験中の方から、新キャンパスになることについてエッセイで触れるべきか、と聞かれるのですが、個人的には「断じて意味はない、むしろ文字数分ムダ」というのが正しい答えかと思われます。GSBについてではなく、自分を持ち上げることに全要素を費やしてくださいませ。


ちなみに、紹介のビデオは以下の通り。


*1 駐車場の確保は結構難題。旧GSB校舎の裏側にはそれなりにスペースがあるのだが、少し離れた場所で授業があると、移動時間をちゃんと見ないと大変な目に遭う。年間800ドル弱駐車場代取る割に、あんまり便利なところのスペースがないんです。

2011/01/11

冬学期の履修状況

冬学期が1月3日に始まり、下記の履修スケジュールを確定。

①コーチング/メンタリング        月・金 10:00-11:45
②ハイ・パフォーマンス・リーダーシップ 月・金  13:15‐15:00
③債券市場(Duffie)                 月・金  15:15‐17:00

④行動ファイナンス             火・木  10:00-11:30
⑤中国語会話                    火・木  13:15-14:05
⑥技術的変化と主権(Peter Thiel)    火・木  14:15-15:45 
⑦インフラと破壊的テクノロジー      火    19:00‐20:15
⑧現代の企業法務              木   16:15-18:15

なかなかヘビーです。

①コーチングでは隔週ベースで3人の一年生とのセッションが、②の通称HPLでも毎週2.5時間の相互学習セッションがある。①と②を通じて、前学期のTouchy Feelyで得た経験をベースにより実践的なトレーニングを行い、よりプロフェッショナルに近い環境下での影響力を磨く位置づけ。

個人的な楽しみは何と言っても⑥。ペイパルマフィア(参照)のドンとして君臨するピーター・シールが、なぜか(笑)国家についてロー・スクールの教鞭を取る主権論である。ヘッジファンドを運用しつつ、Facebookを始めとする数々の著名企業のシード投資家でもある彼は、思想面では弩の付くリバタリアン。自由至上主義に基づく海洋コロニーに投資したりと、投資の世界でも思想の世界でも暴れ放題である。
彼は、インターネットや新興国の隆盛を通じて、経済や個人の活動が過去とは全く異なるスピードで変化する中、既存の国家の枠組みでは、インフラ供給や制度変化が疎かになることを予見している。授業のリーディングで課されているのも、SF本と経済/哲学の古典のミックス。授業を通じて、彼が意外と常識的でありながら、どのポイントで攻撃を仕掛けようとしているのか、見極めていきたい。

加えて、⑧も密かな楽しみ。元SEC委員のグランドフェスト教授(ロースクール)が、企業にとっての法務の位置づけを再考するというもの。エンロン、タイコ、エクソンモービルといった、法務やコンプライアンスに関する象徴的な事件の当事者を呼んで、好き放題質問をして良いという授業。

これに加えて、③、④のような定番のファイナンスの授業で、どれだけしっかりと勉強をしておけるか、が今学期の課題ですね。

2010/12/31

西海岸で紅白を見ながら

米国西海岸時間ではまだ大みそか。本年もお世話になりました。
GSB生活も残り半年弱、来年もどうぞよろしくお願いします





紅白を見ながら、気付いたことが二つ。


このマンネリズムはどこから来ているのだろう

どんどん肌が若返るベンジャミン・バトン状態の男性歌手を見ながら、何だか毎年同じものを見ているような気がしてきた。






(出所:各年のウィキペディア記事)

同じ人を出すニーズがあるのは分かるのだけど、平均出場回数はどんどん上がってるし、初出場が減るのはやっぱりつまんない。

1990年の初出場の人たち(参照)を見ると、大半が「知らない」人だけど、ドリカムとか、吉田栄作とか、宮沢りえとかもいる。さらに、海外からシンディ・ローパーとかポール・サイモン(こちらは映像だけ)とかも。バブルって景気がいい!(トートロジー)

音楽産業の新陳代謝の方が問題なのだろうけど、新しい年の前に見るテレビでは、惰性ではなくて、生え換わりの印象を味わいたいものです。


ねづっちの人気はどこから来たのだろう

「演芸文化への懐古」
彼のペースやネタの刺激は、とてもじゃないけどテレビ向きじゃない。けれど、テレビの視聴者年齢が上がっていく中で、従来とは違うペースの情報伝達が求められている、そんなマーケットが広がっているのかもしれないですね。

「社会人としての悲哀と憧れ」
人には誰でも、「整いました!」と言わなければいけない時がある。100%の確信がないときでも、これがベストです!といって決断しなければならないときがある。ねづっちは、自らのブランドを賭けて、白けた空気をガンガン飲みこむガッツがある。あの、威勢の良さに対して、密かな憧れを抱いてしまうのではないか(*1)。
様々な授業を通じて学んだ事の中でも、やっぱり鉄板といっていいほど大事だったのは、自信を持って発言ができることであり、その裏には準備を重ねることしかない。彼のテレビでの空気に耐え忍ぶ姿(にしか私には見えない)からはソフトスキルについて色々学ぶべきものがある!

来年(前半)も精一杯学んでいこうと思います。





*1
なお、逆に空気を読みまくる方向性としては、「ひぐちカッター」がある。これにもまた、セーフティネットを意識させる趣があって学びが大きい。

2010/12/21

(追記有)海外大学院留学説明会 (告知協力)

今冬、スタンフォードの博士課程にいる宮崎さん、石綿さんが幹事を務めるグループが、海外留学説明会を日本で開催しており、NHKでも取り上げられています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20101221/k10015971571000.html

MBAというよりは、マスター・ドクターを取りに行く過程を解説するものと聞いています。ご関心のありそうな方に告知頂ければ幸いです。理系、という告知がされていますが、経済学・経営学について聞く学生生活のメカニズムは似ているので、文系の方のご参考にもなると思います。
早稲田・慶應の回が終わってしまったタイミングで告知するのも恐縮なのですが、まだ名大(22日)、東大(23日)、九大(24日)、京大(28日)の回があります。少しでも気になる方は、ぜひ、ではなく、必ず!行ってください。
http://gakuiryugaku.net/


(追記)


こちらで、頻繁に聞く「留学を思いとどまる理由」としては以下があります。

1)そもそも学部から修士に進む段階で、海外に出ることを検討するチャンスがなかった。
2)求められているTOEFLの点数が113点(iBT)とか書いてあり(参照)、無理だと思った。
3)求められている学力が高すぎるので、無理だと思った。
4)学費が高いと思った。生活費も加えたら、コストが禁止的に高い。
5)周りに留学している人たちがいない。
6)海外に行くなんて話をしたら、お世話になってきたラボの教授・指導教官に怒られる。

自分が同じ留学プロセスにいたわけではないのですが、上記のうち、2),4)については明らかな誤解があるようにも思えます。113点というのは、ある種気合フィルターともいえるものらしく(取らなくても、他の面で気合を示せば何とかなる)、TOEFL90点台でも留学している人は多いし(80点台だっていると聞きます)、お金については、RAやTAを通じて2年目からは生活費・授業料とも支給されるパターンになっていることが多いです。ポスドク以降のキャリアや、教職としての報酬を考えても、単純な期待値の計算をしてみるだけでも意義は大きいかと。

また、他についても、視点を変えたら道が拓けてくる、実際に口に出して相談してみたら世界観が変わった、ということがあるようです。日本の研究環境を助成する財源や、研究者としての可能性を含めて考えれば、若い時点でこのオプションを放棄することは、やっぱり勿体ないと思います(*1)。


一方で、こちらで良く聞く「留学を思いとどまらなかった理由」として、ダントツに多く聞くのが;

「アイツが留学できたんだったら、自分もできるはず」

というもの。私は四谷学院式モチベーション(参照)、と呼んでいます。一人の先駆者が道を拓く例ですね(*2)。





(*1)
なお、ファイナンスの人間として言うと、オプションには常にプラスの価値があります。

(*2)
よく、日本を出ることを、竜馬の脱藩になぞらえたり、海外で暴れてきます、と表現する人も多いのですが、これには弊害も結構あるかと思います。ロマンチズムがモチベーションになることに異論はないのですが、そうでない場合には無用のプレッシャーとなることも多い。そんな大義なんてこれっぽっちも考えず、とりあえず来てみました、なんて人が多いし、その方が適応性は高いと思われます。

2010/12/05

スタンフォード白「紙」教室:タッチー・フィーリー

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初回の授業を経て、通された部屋には14脚の椅子が丸く並べられている。
12名の学生と、2名のプロのモデレーターが、各々椅子を選んで座る。


授業では、司会も無く、お題もなく、ただただ皆さんの目的に合わせて3時間を使って下さい、という指示があった。分かっていたものの、とてもぎこちない雰囲気が12名を包む。2分ほどの沈黙のあと、ようやくクラスメートの一人が口を開いた。
「とりあえず、遅刻に関するルールでも決めませんか?」


タッチー・フィーリーとは?

Interpersonal Dynamics、通称タッチー・フィーリー(Touchy Feely)は、30年以上の歴史を誇るスタンフォードGSBの名物授業である。授業の内容は、12人の学生と2人のモデレーターからなる14人のグループ(通称T-Group)が、週1回、計4.5時間、自分たちの伸ばしたいスキルの向上を目指して話す、というもの(*1)。

この授業の目的はおおざっぱなものだ。敢えて言うなら
対人関係を学習するための方法を学ぶこと」
である。授業で扱われるトピックとしては、例えば;

・共感とは何か
・自らの弱みや強みとは、自分に見えていない自分の側面とは何か
・他の人と関係を築くにあたって、気を付けなければならないこと
・自分や相手にとってリスクの高い行為を試すと、どんな気分になるのか

といったことがあり、これらをT-Groupの中で実験することが主眼にある。二人いるモデレーターは司会ではなく、あくまで学生間のやりとりに行き過ぎがないように、セーフティネットを張る目的で参加している。

この授業について知ったのは、東京の予備校の卒業生による説明会でのことだった。概略を聞いた瞬間に、大の大人がわざわざこんなことを授業でやるのか、と驚いたのを覚えている。しかし、卒業生からは口々に

「人生をいい方向に変える授業だった」
「GSBに来て本当に良かったと思える授業だった」

と、食傷するくらいの絶賛コメントを聞いていた。これほど得体の知れない授業もないなあ、と思いつつも、せっかくなので早めの秋学期に履修することにした(*2)。


工夫の凝らされたカリキュラム
さて、肝心のセッションはというと、いくらメンバーに気合いが入っているとはいえ、冒頭の様にぎこちないものになる。
個々のメンバーの目標については、例えば共感する能力を伸ばしたい、ネガティブな意見をうまく言えるようになりたい、喋りすぎるのを抑制したい、といったものが出てくる。しかし、会話のヒエラルキーがなく、それぞれがそれなりに友好関係を維持したいとも思っている中では、いきなりそういった話は出づらい。

長年の経験を反映したカリキュラムは、そこをうまく見透かしている。

週一回強、セッションとは別に行われる授業のエクササイズでは、

・今の段階では言えない個人的な秘密を、匿名でカードに書いて教授が発表
・腹が立っている人、親しみを感じる人、特に何も思わない人を3人選んで、肩を叩く(誰が誰だかは判明しない)
・12人の学生の間で、影響力があると思う順に学生を並べる。それぞれの学生が、これを繰り返す。
・相互学習をするための少人数グループを、それぞれがドラフトをやる形で行う(まったく選ばれない人が出てくる)

など、軋轢や動揺を生むエクササイズが待っている。これらは、結果的には活発な議論を促し、良い方向に作用するのだが、毎週の授業のエクササイズはスリリングなものだった。


いくつかのエッセンス
授業から学べることは、当然人によって異なるわけだが、そのエッセンスといえるものが複数あった。

自らの感情を相手にどう伝えるか

たとえば、ある友人がいつも遅刻をしている時に、その苛立ちをどう伝えるか、という問題があるとする。授業での示される答えの一つは、「どう思うか」ではなく「どう感じるか」を伝えることである。すなわち、
「君は自分に甘いから遅れるんだよ」
ではなく
「僕はいつも間に合うように来てるのに、何で君はいつも遅刻するの?不公平に感じるよ」
と言い換える方が、結果的には自分の感情が伝わりやすい。主観的「判断」を加える前の、自分の感情だけを伝えるマナーがグループ内で定着すると、割とおくびもなく、本音がいえるようになるのは一つの発見だった。

ネガティブ・フィードバックはむっちゃ貴重

授業では、フィードバックを与えることには一石二鳥の効果があり、相手に対してだけでなく、自分に対しても成長を促すものだ、という説明がなされる。中でも、とりわけ真摯なネガティブ・フィードバックにこそ価値がある、ということが明らかになると、T-Groupも後半戦ではネガティブな意見の応酬になったりする。

「その言い方は気に食わない。というか、かなり傷ついた」
「この前批判されたから、ちょっと行動変えてみただけじゃないの?なんか不自然だよ、全然伝わって来ない」
「自分に自信があるのは分かったけど、あなたには何を言っても分かってもらえない気がする」

控えめとされてた自分でも、毎週こんな感じで色々喋っていた。それでいて、やっている間は何となく楽しいのだから、不思議なものである。

人は語る以上に色んなことを秘めている

メンバー間の守秘義務があるので、ぼやけた表現にならざるを得ないが、強く記憶に残っているのは、自らの真意を伝えたいがために、必ず出てこざるを得ないそれぞれの過去についての告白である。
その内容は、想像していたものよりも遥かに重いものだった。性的虐待、お母さんと10年以上音信不通、自ら命を絶った肉親、といった話が出てくる。同級生の3割近くが離婚家庭で育っていて、人種的な問題も残り、セーフティネットも穴だらけのこの国で、級友やその親類が様々な障害や、現在進行形の問題と一緒に生きていることに改めて驚かされた。こういった背景から、たとえばあまり人と対立することがうまくできない、あるいは、人に対してすぐ不信感を抱いてしまう、といったエピソードが語られた。

タッチー・フィーリーの授業は、よく「ああ、あの泣く授業ねえ」と言われることもあるのだが、こういった話を真摯に聞いていたり、自分の話をしていても涙は出てくるというもの。結果として9週間、気心どころか本心を晒し合った友人が13人、生まれることになる。


なぜ、こんな授業があるのか?

ビジネススクールの大抵の授業では、登壇する教授や習うトピックそのものよりも、参加者である学生から得られる学びの方が多い。この授業は、事実上の学習は教授抜きで行われるので、その最たるものと言える。そして、この授業で吸収したエッセンスを使って、文字通り生涯学習することが重視されている。中には数十年間、年一回集まり続けているグループもあるのだと。

GSBの学生は優秀だ。少なくとも、ここに来るまでの間は、それぞれの組織のトップパフォーマーであったことがほとんどだろう。そのため、お互いにプライドも高いので、こういった「一度まっさらな心で語り合いましょう」みたいなシチュエーションが却って希少だったのかもしれない(*2)。
タッチー・フィーリーに限らず、多くの授業についていえることだが、やはり授業を履修する側が、ある程度の精神的なコミットをすることが必要な科目がある。これを、「安心できるくらい」優秀で、かつ愛校心に裏付けられたコミットメントのある集団の中でやることころに、ビジネススクールの付加価値があるんだろう、と最近は思っている。

で、履修してみてどうだったか?
正直な所、これを受けるためにGSBに来れて本当に良かった、とすら感じるくらいに良い授業だった。宿題の量など、コミットメントの度合いが高かったバイアスもあるが、ビフォー・アフター的な変化の大きさを感じている。
自分が自信を持っている才能や側面に対して、シリアスな疑いをかけることはとても重要だ。対人関係のような、質的情報の多いものについては特にそうだといえる。この授業では、ある種それが徹底的に試される機会が2度ほどあり、それを乗り越えることで仲間からの信任を得る、というプロセスを体験できた(最後の写真を参照)。
そして、他の授業に対する派生効果も感じている。来学期と春学期は、3人の1年生を受け持つコーチングの授業を履修する予定だが、色々と未知の領域の中に、どのような学習機会がありそうなのかが見えてきた。また、今後、自分が上司になるようなときに、何が一番のドツボになりえるのか、そこに陥ったとしても、どうやったら回復する道筋だけは作れるだろうと、自信を持つことができた。

日本でもこの授業はできるのだろうか?
自分のT-Groupは、自分以外の全員が英語ネイティブの空間だった。なので、やはり微細な表現とか、気遣いとかで遅れるところがあったし、逆に気を遣わせてしまったことも何度もあった。英語で話すときと日本語で話すときで、やはり人格は変わる。自分の場合、英語のほうがよりロジカルな側面を意識するし、おそらくもう少し人に優しくなっている気がする。

ただ、たとえば日本では暗黙のうちに共有される感情がこちらでは口に出さないと伝わらない、といったことを、身をもって示すことはできたようだ。こういったことに対しては、ビジネススクールの学生は一般的にかなりセンシティブなので、割と前のめりで異なる文化から学習しようとする姿勢が伝わってくる。

それで思ったのが、日本で、この授業をやることは可能なのだろうか、という問い。実際にやっているところは存在するのだろうか?物理的には可能だろうし、学校コミュニティに対する信頼が高ければ、きっと実現できるのだろう。将来、日本人の経験者を集めてセッションをやってみたら、結構面白いのではないか、と考えている。自己啓発というと、とかく胡散臭いイメージがつきまとう言葉ではあるが、たとえば世代間での価値観の不一致等を嘆く前に、一度こういう環境のトレーニングで自分を試してみる価値は大きい。




なお、
「俺、日本だったらもうちょっとクールなんだけどね」と茶化して言ったら、それを似顔絵入りのTシャツにされてしまった。



最後の授業では12人全員がこれを着て勢ぞろい。まあ、こんだけ仲良くなれるのだから、もし履修に躊躇する後輩がいるとすれば、それはご心配なくどうぞ、と言っておきたい。



(*1)
この車座セッションとは別に、毎週一コマの授業や、こまかなエクササイズも行われる。期間は9週間、終盤には2泊3日でセッションをやる合宿もあり、週2回の課題提出と毎週の日誌提出等、課題量はヘビーだ。

(*2)
複数開講されているTouchy Feelyの中でも、プログラムの事実上の主幹者であるキャロル・ロビンのクラスを履修した。ロビンのクラスの良い所は、他の希望する授業を犠牲にしてでも、このクラスにコミットしたいと考えている学生が多い点にある。


(*3)
アントレ論の名物教授グロウスベックいわく
「起業家志望の人は、IBやコンサルに行くと夢を叶えにくくなる。起業して、実際に雇うことになるのは、多くの場合「普通の』人たちだ。その人たちは、MBAやウォール街の会社名などには興味はないし、端的には異なる価値観で生きている。ハイ・プロファイルの企業に行って、エリート達とばかり接していると、そういった普通の人たちを率いる能力は劣化するどころか、敵対心さえ抱かれかねない。それよりも、セールスなどの仕事について、地道な価値観を身に付けて、素直な話のできる人間を目指したほうが、よほどいい」