かのミルトン・フリードマンの孫である、パトリ・フリードマンと話し込む機会に恵まれた。
彼は2008年より、Seasteading Institute(参照)という、公海上に新しい国家を作るプロジェクトを推進している。前職は、驚くべきことにグーグルのエンジニアであった。同財団のドナーは例のピーター・シエル。リバタリアン資産家のぶっとんだ夢想を、リバタリアンの神様の子孫が叶えるという試みが平然と進められている。シエルの授業で彼が1時間ほどのゲスト講義をやった日の夜、シエルの邸宅で行われた小規模パーティーにて、長いこと話し込む機会があったのだった。
パトリ・フリードマンの発想の根幹には、国家や民主主義には競争が必要であり、革命以外の形で中から変えることは難しい、という強い信念がある。国家には多様なスタイルがあるはずだが、例えば小さい規模で国家のモデルをいくつも実験・競争させるといったことは、現実には行われていない。ソビエトが失敗したときは、その過程でものすごい数の人たちが殺されたり鬱になったりしたけど、あれは本当は100人の国家であれば数人が死ぬだけでよかったはずだ、というもの。
経済学の一領域である公共選択論にも言及していた。この学問体系の中では、理想的な政府の設計者が色々と制度を変えられることが前提されているが、その想定はあまりにフィクションに近く、個人にも国家の選択の自由などないではないか、という点である。だから、国にはもっと多様な選択肢があるべきだ、と。
ロジカルには正しい。正しすぎる。そして、誰もが妄想して諦めることなのかもしれない。その解決策はある意味危険だし、暗殺のリスクだって出てくる。国を作る者には、渡ってきた橋(育ってきた国)を燃やすくらいの覚悟が必要というもの。彼も授業で言っていたのだが、世界に失うものがある人には向いていないようなアントレプレナーシップ、なのだと。
ただし、リバタリアンのジェダイである彼には、この夢を叶えることの方が大事なのだそうだ。ハイテンションでキャピキャピ話す彼を見ていると、何というか「大うつけ者」という称号がふさわしく感じられてくる。凄い。オーラというよりも、若干の狂気すら感じる。
だんだんと、僕のリサーチャー魂にも火が点く。
好奇心に任せて、ありとあらゆることを聞いてみた。
Q:国家、への参入コストっていくら?
まず、土地。これは地上の世界では獲得することはできない。だから、海上が我々のフィールドになった。カジノのクルーズ船などが良い例だ。彼らは、国籍的にはどこにも属さない扱いを受けている。一番安い、サステイナブルな大型船は15-20百万ドルもあれば作れる。
Q:自分で国を作るの?
今はまだ構想中で、様々なプロジェクトを募集している段階。既に候補者には結構な数がいて、今度ホンジュラスで起「国」家サミットをやる予定。
ほかにも、海洋住宅に関する懸賞つきプロジェクトなどを主催している。自分は、最初は一連の制度の調整に注力しようと思っているけど、数十個の参入者が出てきた暁には、ぜひ、自分でも一つやりたい。
Q:侵略等に対する安全保障の問題はどうやって解決するの?
おそらく、国家というステータスを獲得できた際には、米国との間で安全保障条約を結ぶのが良いのだろう。核兵器の開発は今は(笑)考えていないし、麻薬の輸出だってたぶんやらない。
Q:国家としてのビジネスモデルはどう考えるのか?
世間ではよく、国家を非営利のものとして考えることが多い。だが、本当は営利機関として考えた方が適切な場合もある。
現実的だと考えているのは病院ビジネスだ。クルーズ船の上に病院を置く。そして、例えばサンディエゴ近海に停泊して、インド人の医師を雇って治療を行ったりすれば良い。同様にニューヨークの近海に、クルーズ船病院をもう一つ作って、共和国的な位置づけにすればよいと思っている。米国内の制度の訴訟コスト等を考えれば、医療コストが相当に下げられるので、それだけでも大きな収入源にはなるはずだ。
Q:タックス・ヘイブンはビジネスモデルにはなるの?
ケイマンやバミューダ等、世界には沢山のタックス・ヘイブンが既にあって、それと競合することは難しい。新規参入者に、タックス・ヘイブンとしての競争優位はないだろうし、いかんせん資本は最も速く世界を移動できる。それに対して、例えば病人などは、そんなには速く移動できない。
Q:これだけ多くの課題をどうやって解決していくの?
漸進主義しかないと思っている。多分正しい民主主義の形なんてないだろうから、やりながら考えるしかない。普通のベンチャーと一緒。
Q:尊敬している政治家って、いる?
今のSeasteadingの発想のモデルは、シンガポール。だから、リー・クワンユーが自分の中では熱い。彼の伝記の新バージョンを、また買っちゃったよ。
そして、話題は日本のマクロ環境について、に必然的にシフトしていった。
1)日本はなんで高齢化が見えていたのに30年近く対応してこなかったのか
2)債務レベルが対GDP200%になっても何故平気でいられるのか
3)なんで賦課方式の公的な年金・医療制度が、今の日本で成立するのか
等々。
僕は、これらの質問に対して、考えていることを素直に答えた。
話をしつつ、不思議な感慨に囚われた。彼の先祖のDNAというか、どうしてもミルトンの幻影と会話をしているような気がしてならなかった。
僕が、市場にかかわる仕事をするようになった一つのきっかけは、ほかでもない「資本主義と自由」があったからである。その中で繰り返し述べられる一つの純粋な思考回路に照らして、自分が日本の現状についての弁明をしているような気分になった。
現存するどんな国家であっても、リバタリアンのロジックに対しては、ある種の弁明を強いられる。日本には、その理由付けがあるのか、過去の輝かしい成長の実績は弁明をしない理由になりえるのか。初対面なのに熱心に関心を示してくれる彼の眼を見ながら、そんなことを考えていた。
スタンフォードのフーバー研究所には、過去から多様な経済学の偉人(日本人を含めて)が在籍してきた。シリコンバレーの空気を日夜吸収してきた中で、ふと、こうしたリーダーたちの根幹に佇む自由主義の存在と、果たして同じくらい奥深い何かが日本のリーダーにはあるのだろうかという怖い疑問を、感じた一夜だった。
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