2011/02/27

フリードマンの孫と話したこと

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かのミルトン・フリードマンの孫である、パトリ・フリードマンと話し込む機会に恵まれた。

彼は2008年より、Seasteading Institute(参照)という、公海上に新しい国家を作るプロジェクトを推進している。前職は、驚くべきことにグーグルのエンジニアであった。同財団のドナーは例のピーター・シエル。リバタリアン資産家のぶっとんだ夢想を、リバタリアンの神様の子孫が叶えるという試みが平然と進められている。シエルの授業で彼が1時間ほどのゲスト講義をやった日の夜、シエルの邸宅で行われた小規模パーティーにて、長いこと話し込む機会があったのだった。

パトリ・フリードマンの発想の根幹には、国家や民主主義には競争が必要であり、革命以外の形で中から変えることは難しい、という強い信念がある。国家には多様なスタイルがあるはずだが、例えば小さい規模で国家のモデルをいくつも実験・競争させるといったことは、現実には行われていない。ソビエトが失敗したときは、その過程でものすごい数の人たちが殺されたり鬱になったりしたけど、あれは本当は100人の国家であれば数人が死ぬだけでよかったはずだ、というもの。

経済学の一領域である公共選択論にも言及していた。この学問体系の中では、理想的な政府の設計者が色々と制度を変えられることが前提されているが、その想定はあまりにフィクションに近く、個人にも国家の選択の自由などないではないか、という点である。だから、国にはもっと多様な選択肢があるべきだ、と。

ロジカルには正しい。正しすぎる。そして、誰もが妄想して諦めることなのかもしれない。その解決策はある意味危険だし、暗殺のリスクだって出てくる。国を作る者には、渡ってきた橋(育ってきた国)を燃やすくらいの覚悟が必要というもの。彼も授業で言っていたのだが、世界に失うものがある人には向いていないようなアントレプレナーシップ、なのだと。

ただし、リバタリアンのジェダイである彼には、この夢を叶えることの方が大事なのだそうだ。ハイテンションでキャピキャピ話す彼を見ていると、何というか「大うつけ者」という称号がふさわしく感じられてくる。凄い。オーラというよりも、若干の狂気すら感じる。

だんだんと、僕のリサーチャー魂にも火が点く。
好奇心に任せて、ありとあらゆることを聞いてみた。


Q:国家、への参入コストっていくら?
まず、土地。これは地上の世界では獲得することはできない。だから、海上が我々のフィールドになった。カジノのクルーズ船などが良い例だ。彼らは、国籍的にはどこにも属さない扱いを受けている。一番安い、サステイナブルな大型船は15-20百万ドルもあれば作れる。

Q:自分で国を作るの?
今はまだ構想中で、様々なプロジェクトを募集している段階。既に候補者には結構な数がいて、今度ホンジュラスで起「国」家サミットをやる予定。
ほかにも、海洋住宅に関する懸賞つきプロジェクトなどを主催している。自分は、最初は一連の制度の調整に注力しようと思っているけど、数十個の参入者が出てきた暁には、ぜひ、自分でも一つやりたい。

Q:侵略等に対する安全保障の問題はどうやって解決するの?
おそらく、国家というステータスを獲得できた際には、米国との間で安全保障条約を結ぶのが良いのだろう。核兵器の開発は今は(笑)考えていないし、麻薬の輸出だってたぶんやらない。

Q:国家としてのビジネスモデルはどう考えるのか?
世間ではよく、国家を非営利のものとして考えることが多い。だが、本当は営利機関として考えた方が適切な場合もある。
現実的だと考えているのは病院ビジネスだ。クルーズ船の上に病院を置く。そして、例えばサンディエゴ近海に停泊して、インド人の医師を雇って治療を行ったりすれば良い。同様にニューヨークの近海に、クルーズ船病院をもう一つ作って、共和国的な位置づけにすればよいと思っている。米国内の制度の訴訟コスト等を考えれば、医療コストが相当に下げられるので、それだけでも大きな収入源にはなるはずだ。

Q:タックス・ヘイブンはビジネスモデルにはなるの?
ケイマンやバミューダ等、世界には沢山のタックス・ヘイブンが既にあって、それと競合することは難しい。新規参入者に、タックス・ヘイブンとしての競争優位はないだろうし、いかんせん資本は最も速く世界を移動できる。それに対して、例えば病人などは、そんなには速く移動できない。

Q:これだけ多くの課題をどうやって解決していくの?
漸進主義しかないと思っている。多分正しい民主主義の形なんてないだろうから、やりながら考えるしかない。普通のベンチャーと一緒。

Q:尊敬している政治家って、いる?
今のSeasteadingの発想のモデルは、シンガポール。だから、リー・クワンユーが自分の中では熱い。彼の伝記の新バージョンを、また買っちゃったよ。


そして、話題は日本のマクロ環境について、に必然的にシフトしていった。
1)日本はなんで高齢化が見えていたのに30年近く対応してこなかったのか
2)債務レベルが対GDP200%になっても何故平気でいられるのか
3)なんで賦課方式の公的な年金・医療制度が、今の日本で成立するのか
等々。

僕は、これらの質問に対して、考えていることを素直に答えた。
話をしつつ、不思議な感慨に囚われた。彼の先祖のDNAというか、どうしてもミルトンの幻影と会話をしているような気がしてならなかった。

僕が、市場にかかわる仕事をするようになった一つのきっかけは、ほかでもない「資本主義と自由」があったからである。その中で繰り返し述べられる一つの純粋な思考回路に照らして、自分が日本の現状についての弁明をしているような気分になった。
現存するどんな国家であっても、リバタリアンのロジックに対しては、ある種の弁明を強いられる。日本には、その理由付けがあるのか、過去の輝かしい成長の実績は弁明をしない理由になりえるのか。初対面なのに熱心に関心を示してくれる彼の眼を見ながら、そんなことを考えていた。

スタンフォードのフーバー研究所には、過去から多様な経済学の偉人(日本人を含めて)が在籍してきた。シリコンバレーの空気を日夜吸収してきた中で、ふと、こうしたリーダーたちの根幹に佇む自由主義の存在と、果たして同じくらい奥深い何かが日本のリーダーにはあるのだろうかという怖い疑問を、感じた一夜だった。

2011/02/20

フラット化した世界でも、国境の壁は高い

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3月下旬のジャパン・トリップに向けての作業が慌しくなってきた。
ミーティング先は、観光をする余裕がないくらいに埋まり、そうそうたる人たちに会えそうなので楽しみな限り。
ただ、それ以前の渡航ビザの手続きで、かなり長い時間を準備や調整に費やしている。

日本への渡航ビザの手配を行うのは初めてだ。
ひょっとすると、こんな簡単な手段があるよ、というのもあるのかもしれないのだが、(少なくとも私にとっては)難易度が高い。

まず、外務省のビザに関するウェブサイトを見てみると、ビザを必要としない国の一覧がわかる。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/visa/index.html
欧州や米国大陸の多くの国がカバーされており、先進国といえる国では、だいたい3ヶ月以内の渡航であればビザが免除されていることが分かる。

ただ、上記は主に先進国の話。中国、ロシア、インド、ブラジルは含まれていない。BRICsは、今後の経済成長の主役ではあるのだが、こういった国は入っていない(*1)。


(一応書いておくと、日本のビザ免除政策について何か言いたいわけではない。たとえば、米国はビザ免除の対象国リストは、日本よりもずっと小さい(参照)し、シンガポールだって結構厳しそう(参照))


ビジネススクールには、BRICsの学生も多く(学校が意識的に多くしている面もある)、前述のとおり我々のトリップ参加者にも何名か、ビザが必要な学生がいる。その中でも米国のグリーンカードを持っていない学生への要求は、結構大変なものだ。グリーンカードを有さないロシア人の学生の場合、パスポートのほかに求められる資料として、以下、がある;

  • 日本での受け入れ人が記入する保証書・招聘書
  • 招聘人の所属する企業の登記謄本もしくは(上場企業なら)四季報のコピー等。個人の場合は、納税証明書
  • 「日本語」で書かれた旅程表
  • 過去3ヶ月の銀行預金残高を示す書類
  • 修学旅行を学校が主催していることを示すレター(訪問先や保証人情報込み)
  • 米国の入国関連書類(ビザ、I-94、I-20)
  • 申請用紙を二通
  • 写真二葉
(ケースバイケースなので、必ず領事館に問い合わせください)

受け入れ人にも、何らの招聘を行う理由が必要で、赤の他人、というわけにはいかない。日本語で書かれた旅程表も、必要な人数分を作っていて思うのだが、日本側の協力者にも割と負担がかかる作業になる。

平たく言うと、日本に縁もゆかりもないけど、関心がある成長市場の人たちが、気安く日本には来れないのだ。国境を越えること、の意味が単純にビジネスや観光という枠組みで割り切れないことは重々承知だが、たとえば

  1. ふらっと観光で来て貰って、日本を好きになってもらう
  2. 投資家として招いて、方向感を持ってもらった上で、日本の資産を買ってもらったりとか、工場を見てもらった上で新興国市場での提携を打診してもらう
といったことが、彼らは気軽にはできない。一方で、我々日本人が、たとえばインドやブラジルに行くときも、やっぱりビザは必要なのだけど、パリやニューヨークだったら、(ESTA等の少々の手続きは別として)この手間は必要ない。この非対称性は、考えるほどに重いものなのだと感じる。

20年ほど前、家族旅行でフランスからスイスへ向かうバスに乗ったことがあった。途中、国境に差し掛かると、バスの中に検査官が乗り込んできて、前方の座席から、入念に一人ひとりのパスポートのチェックが行われていった。検札という感じではなく、かなりじっくりと、声を荒げながら検査が進む。その間、約15分ほど。
そして、最後部の座席に座っていた我々が4冊のパスポートを差し出した瞬間、検査官の表情が柔和なものへと変わる。ああ、日本人は別にいいよ、Welcome to Switzerlandと中身も確認せず、彼はバスの入り口の方へと引き返していった。

ロシア人の友人と話しつつ、こんな経験が脳裏を過ぎる。一連の手続きをしながら、彼らに「面倒な手続きが多くてごめんね」と伝えると、『いや、もう慣れっこですよ。僕がロシア人に生まれた責任みたいなもんだから(笑)』と言われた。自分は、生まれながらにして、世界で一番くらいに恵まれたパスポートを持てる立場。頭では分かっているけど、現実に接しないと感じ得ないことだ。

蛇足的にだが、
日本に、観光立国・投資立国の側面を増やすとするならば、こういった手間隙をかけてでも、来たい、見たい、感じてみたい、と思われるだけのソフトパワーをアピールすることが必要だ。個人的に、これは実力の問題というよりも、広報や見せ方の問題なのだと思っているし、もうちょっとうまくやる方法はあるよね、という気もしている。インドなんか、これだけ見て行くこと決めたら、だいぶ痛い目遭うよ、という位にかっこいいCM流しているんだし。日本も外国人の映画監督とか作って、超ナショナリスティックな観光映像とか作ってみればいいのにな。Yokosoキャンペーンは、ちょっと伝統系に寄り過ぎている気がする。



(*1)
日本語のページと
http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/visa/index.html
英文のページのフォーマットが違うのが少し気になったり(中国のボタンがない)、
http://www.mofa.go.jp/j_info/visit/visa/index.html
必要な書類も、ケースバイケースなので、海外の領事館に電話して問い合わせることが必須だったりと、逆の立場で考えたら、中々大変なのです。