教授のラストコメントより。
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この一週間、二人の人物によるすばらしいスピーチを聞いた。
一人は、ホワイトハウスに勤務しているオープン・ゲイの政府高官。先日ニューヨークでLGBTの学部生のためのセレモニーがあり、そこで彼がスピーチを行う場に参列した。参加者は20歳前後のパーティ大好きな大学生。当然、彼らは聴く耳など持たないし、いわば早く終われモードに満ちていた。しかし、高官は登壇すると、静かにこう始めた。
「先週、ラトガース大学で命を絶った学生のために、黙祷をさせてください」(参照)
一分間の黙祷のあと、高官は、これまでの授業の中で述べてきた多くのテクニックを用い、学生は20分間もの間、ほとんど音を立てることはなかった。僕はといえば、凄いものを目にしていると思い、そこらへんのナプキンにスピーチの中身をずっと書きとめていた。
もう一人は、先日スタンフォードに講演をしに来た、ダライ・ラマ氏。
彼は、この授業で説明した一切のテクニックを用いることなく、登壇しただけで数千人の観衆を一気に静かにさせ、不思議な集中とパワーの溢れるスピーチを行った。あれだけの人物であれば、特にテクニックを使わなくても、雰囲気だけで、話を聞いてもらえるものなんだ。
今までの授業を見てきてもう分かっているのだろうけど、結局、政治的コミュニケーションのトピックとして出てくる殆どのことは、リーダーシップの形成と同じなんだ。票を集めることと、注目を集めることはとても似ている。そして、その中心で何をやろうとしているのか、その人の本音の強さこそが、物事を変えることができる。コミュニケーション技術は、それを的確かつ、最もインパクトの強い形に変換する方法論にすぎない。政治的なんて名前を本当は授業に付けたくはなかったのだけど、この授業がそういう意図を持って作られていることは、皆さんには分かってもらえたかな、と思っています。
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短期集中型の選択科目Political Communicationで用いる教材は、過去の大統領選及び目下進行中の上院選の演説である。これらをベースにしながら、スピーチやディベートにおける成功・失敗要因を探る内容となっている。教授は、Bush Sr.政権時でホワイトハウスでスピーチを書いていたデマレスト氏と、GSBのコミュニケーション・プログラムを司っているシュラム氏。GSBとロースクールからの学生が、2:1という構成となっている。
それにしても驚いたのが、学生の知識量と発言意欲の強いこと強いこと。提出した課題も、過去の選挙の公開討論をベースに、それぞれの候補者のスキルと文脈から、どちらがよりよい仕事をしたのか評価せよ、というものだった。正直に、本論には全然付いていけない感じ。
(日本人にこの手のトピックはは結構きついです。結局のところ、政治・経済的背景から、その候補者が当時どのように見られていたのかを加味して、Outperformしているか判別する必要があるので)
なお、ラスト・コメントで述べられていたテクニックというのは、端的には「繰り返し」「韻を踏むこと」「個人的エピソードの活用」といった、形式的なもの。過去の有名なスピーチを分析してみると、たしかにそういった技巧がちりばめられている。特に、テレビに映るケースを考えると、何か特定の数秒間が引用されて何百回も放映されるため、意識的にそういう時間を作ったり、逆になんらかの恥ずかしいシーンが開陳されないようにと、担当者はとにかく神経をすり減らすのだそうで。
ちなみに、大失敗シーンの代表例として挙げられていたのがこれ。民主党内の大統領候補選でH. Dean氏が3位に負けたというのに、ハイパー・ハイになっていて「駄目だコイツ、早くなんとかしないと」ムードを全米に広げた例。無論、最後の数秒だけがカットされ、朝からお茶の間で大量放映され、最終的に民主党候補はケリーに決まった、という経緯。
さて、大統領ともなれば、そのスピーチライティングの裏には色んな専門家が集っていて、天候や時節柄を加味したジョークなどの例もふんだんに(特に失敗例を中心に)デマレスト氏から紹介された。Bush Sr.は書いたジョークをことごとく理解してくれなくて、ウケる形で喋ってくれないからよく凹んだ、とのこと。GSBには他に、Bush Jr.の秘書的な補佐をしていた同級生とか、現在進行形でメグ・ウィットマンの事務所にいる学生とか、色々いるのだけれど、やはり政権とエリートのの距離が近いだけあって、その生活様式とか、準備の仕方等、大変身近な経験が共有される授業だった。
そして、授業のサビともいえたのが、模擬討論。加州の知事及び上院選の両陣営に配属を行い、習ったスキルを十二分に発揮せよ、といえるもの。4人のグループで、一人の候補者のポジションを分担してしゃべるのだが、これも結構大変だった。クラスメートからは、「人は見た目が9割」なんだから、そのつもりで、といわれたので、その通りにやったら、意外と反応がよかったので、それでとりあえず個人的にはよしとしてみた。
なお、授業の終わりのほうで、日本の政治的コミュニケーションについて述べる機会があった。米国でもそうだけど、本音と表出する言葉の質でいうと、やっぱり前者が圧倒的な課題なので、そういうところで日本も信頼を得られる世の中にしたい。日本でこれだけのレベルの討論が行えるのなら、支持するのは民主・共和どっちでもいいくらいだ、といったことを述べた。
今まで話した大半の学生の反応から見ても、「何も決められない国、日本」というのは共通した見方になっている。だからといって、無闇に何でも変えようとする人たちもいるのだけど、そういうレベルの意思決定よりも、一段高いところに持っていく技術は、もっと色んな政治家に実践して欲しい。