2010/12/31

西海岸で紅白を見ながら

米国西海岸時間ではまだ大みそか。本年もお世話になりました。
GSB生活も残り半年弱、来年もどうぞよろしくお願いします





紅白を見ながら、気付いたことが二つ。


このマンネリズムはどこから来ているのだろう

どんどん肌が若返るベンジャミン・バトン状態の男性歌手を見ながら、何だか毎年同じものを見ているような気がしてきた。






(出所:各年のウィキペディア記事)

同じ人を出すニーズがあるのは分かるのだけど、平均出場回数はどんどん上がってるし、初出場が減るのはやっぱりつまんない。

1990年の初出場の人たち(参照)を見ると、大半が「知らない」人だけど、ドリカムとか、吉田栄作とか、宮沢りえとかもいる。さらに、海外からシンディ・ローパーとかポール・サイモン(こちらは映像だけ)とかも。バブルって景気がいい!(トートロジー)

音楽産業の新陳代謝の方が問題なのだろうけど、新しい年の前に見るテレビでは、惰性ではなくて、生え換わりの印象を味わいたいものです。


ねづっちの人気はどこから来たのだろう

「演芸文化への懐古」
彼のペースやネタの刺激は、とてもじゃないけどテレビ向きじゃない。けれど、テレビの視聴者年齢が上がっていく中で、従来とは違うペースの情報伝達が求められている、そんなマーケットが広がっているのかもしれないですね。

「社会人としての悲哀と憧れ」
人には誰でも、「整いました!」と言わなければいけない時がある。100%の確信がないときでも、これがベストです!といって決断しなければならないときがある。ねづっちは、自らのブランドを賭けて、白けた空気をガンガン飲みこむガッツがある。あの、威勢の良さに対して、密かな憧れを抱いてしまうのではないか(*1)。
様々な授業を通じて学んだ事の中でも、やっぱり鉄板といっていいほど大事だったのは、自信を持って発言ができることであり、その裏には準備を重ねることしかない。彼のテレビでの空気に耐え忍ぶ姿(にしか私には見えない)からはソフトスキルについて色々学ぶべきものがある!

来年(前半)も精一杯学んでいこうと思います。





*1
なお、逆に空気を読みまくる方向性としては、「ひぐちカッター」がある。これにもまた、セーフティネットを意識させる趣があって学びが大きい。

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