2010/04/03

トルコ:経済と政治の坩堝

  






「今の首相はチャベスとプーチンとアハマディジャドを合わせたような奴だ。おっと、もう一人忘れてた、ベルルスコーニだ。」

イスタンブールでの卒業生との懇談ディナーの最中、トルコ人の卒業生が会ってまもなく、こう言い始めた。

「この国はすばらしい成長を遂げている。けれども、自由の度合いは驚くほどに低い。」


GSBの修学旅行プログラムで10日弱、トルコの財界人と、大統領を含む政治家の方々を訪問するツアーに夫婦で参加してきた。トルコといえば、カッパドキア、アヤソフィア、そしてご飯はケバブといった、観光地のイメージがあったのだが、この春休みは、トルコと経済と政治について、 じっくり考える時間となった。

冒頭の自由にまつわる話でよく引き合いに出されるのが、2009年9月、トルコ
のテレビ・新聞で50%以上のシェアを占めるDogan Yayin Holdingに対し、32億ドル(約3500億円)の課税が突如なされた件(参照)である。課税の名目は、同社グループ内での株式売買に対するものとされているが、トルコで会った多くの人は、同社が政府の不正を糾弾したことへの報復に間違いない、と主張していた。32億ドルという金額は同社を破産させてしまう額に等しく、単に報道・言論の自由の侵害だという声が何度も聞かれた。


言論の自由に限らず、トルコという国は、色々な意味で厄介な問題を抱えている国である。トルコについての重要なファクトを挙げると;

●最も民主的なイスラム国家(人口の99%がイスラム教徒とも言われる。国として掲げる民主主義の要点は世俗主義(政教分離の原則))。
●EUに加盟することが60年近くも国のプライオリティになっている。ただし、フランス等との感情的な対立や、1974年のトルコのキプロス侵攻に端を発するギリシャとの対立により、この点はこじれにこじれている。
●NATOで米国についで大きな軍事力を有する。軍隊は最も尊敬される組織であり、建国の祖ケマル・アタチュルクの肖像はいたるところに、民主主義と自由の象徴として掲げられている。
●有史以来、陸の要所として地政学的な存在感が強い。オバマ大統領は就任後、カナダの次にトルコを訪問。なお、米国はEU入りを強く支援している。
●1996年より関税同盟がEUとの間で発効。このことにより、貿易に関する障壁はなくなった状態。経済的メリットが実現されたがために、逆に、政治的課題だけが残り、EU加盟を難しくしている印象。
●2001年よりAKPが議会における単独与党に。それまでの連立与党体制に比べ、リーダーシップの状態が改善され、それまでの長年の悩みであった不正やインフレ等の課題の多くが解決された。
●ただし、AKPでは世俗主義を重視するどころか、憲法改正を推進し、首脳による否定的発言が繰り返されている。野党CHPはこの点を強く糾弾。

ただし、この国には経済的な希望がある。AKPによる政権運営は、少なくとも経済的安定をもたらしており、国民の多くが経済成長のメリットを体感している。なんといっても、この国の人口は若い。平均年齢は28歳、勉強熱心な学生が多く、労働の質が高い。さらに、中流層向け市場としての潜在性も高く、携帯電話等への需要の見通しも明るい。ある企業の方が仰っ ていたように、「数年前までぜいたく品だったものを、手の届く値段で提供することが、この国では一番成功するビジネスモデル」となっている。需要不足にあえぎ、中国やインドでの競争も苛烈だし、とこぼす日本・米国・西欧の企業にとっては垂涎の市場ともいえるのかもしれない。

この国の現状は、高度成長期の頃の日本に似ているのかもしれない。官僚的な意思決定の多さ、勤勉な国民、人口構成からの配当(Demographic Dividend)、キャッチアップ型の経済構造等…
政治的問題/緊張がある一方で、経済におけるバラ色に近い見通しが、この国の危うい綱渡りを可能としているような印象を持った。エコノミストとしてこの国の今後を占うとしたら、BullかBearか、と道中何度も同級生に聞かれた。旅の初めの頃はかなりBearだったのだが、終わりの頃にはSlightly Bull、と答えるようになった。昔の日本や、90年代の中国と同じで、七難を抱えていても、経済成長は色んな安定と、希望を与えてくれる。黒い猫と白い猫の話と似ているのかも しれないな、と思った。


最後に、ツアーの間で感じた最もショッキングな出来事について書いておきたい。大統領邸での待合室においてのこと。

40数名の学生が部屋に通されると、トルコ名物のチャイと、甘いジュースが振舞われた。部屋は何ともシックな、西欧風のつくり。ふと壁を見ると、縦2m、横4mはあろうかと思われる、「中東」の地図が掲げられていた。同じものが見つからなかったのだが、イメージは下記のようなもの。

トルコは右端のあたりしか写っておらず、北はロシア、中央にイラン、東にインド、という構成になっている。そこに「欧州」は全く存在していない。この地図が、部屋の中で異様な存在感を放っている。まるで、戦争中の作戦本部のような佇まいで。

それを見たときに、何となく確信したのは、この国は、最終的には中東へのゲートウェイとして経済的なアイデンティティを確立していくのだろう、ということだった。それまでも、「トルコの東側と西側の、どちらにビジネス的な魅力があるのか」、と聞くと判を押したように東、という答えが返ってきていたのだが、トルコは欧州の工場としてではなく、イスラム圏に対する先行経済であろうとしているのだな、というメッセージがより強く感じられた。中東に対し、「じわじわと米国の協力を得ながら民主化が進むエマージングマーケット」という見方を得ることができたのは大きな収穫だったと感じる。



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